「芸術は宗教の母なり」の意味

投稿:2017年05月24日

前回は王仁三郎の名言の一つ、「みろくの世には宗教は不要になる」の意味について書きました。

今回は、これもまた名言の一つである、「芸術は宗教の母なり」の意味についてです。

この文言だけ聞くと、文字通り「すぐれた芸術から、宗教が生み出される、ということ」なんだなと思ってしまいますが、王仁三郎の発言意図はちょっと違います。

現代の学者は、『宗教は芸術の母なり』とか、『宗教が芸術を生むのだ』と言っているそうである。
私はそれと反対に『芸術は宗教の母なり、芸術は宗教を生む』と主張するものである。

洪大無辺の大宇宙を創造したる神は、大芸術者でなければならぬ。天地創造の原動力、これ大芸術の萌芽である。

宗教なるものは神の創造力や、その無限の意志のわずかに一端を、具体的に人の手を通し口を徹(とお)して現わされたものに過ぎない。
〔霊界物語 第36巻序文

瑞月(注・王仁三郎のこと)はかつて芸術は宗教の母なりと言ったことがある。
しかしその芸術とは、今日の社会に行わるる如きものを言ったのではない。

造化の偉大なる力によりて造られたる、天地間の森羅万象は、いずれもみな神の芸術的産物である。
この大芸術者、即ち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かむとするのが、真の宗教でなければならぬ。

瑞月が霊界物語を口述したのも、真の芸術と宗教とを一致せしめ、以て両者共に完全なる生命を与えて、以て天下の同胞をして、真の天国に永久に楽しく遊ばしめむとするの微意より出たものである。
そして宗教と芸術とは、双方一致すべき運命の途にある事を覚り、本書を出版するに至ったのである。
〔霊界物語 第65巻総説

私は子たる宗教を育てんがために、永年微力をつくしたが、子はどうやら育ち上ったらしいので、この方面は子に譲り、昭和三年三月三日から、親たる芸術を育てんと努力しつつあるのである。

明光社(注・大本の外郭団体で芸術の結社)を設けて、歌道を奨励し、大衆芸術たる冠句を高調し、絵を描き文字を書き、楽焼をなし、時に高座に上って浄瑠璃を語り、盆踊りの音頭をさえも自らとっているのである。

神の真の芸術をこの土の上に樹立することが、私の大いなる仕事の一つである。
〔月鏡313「宗教より芸術へ」〕

仏像だのイコンだの讃美歌だの、たしかに信仰の中から沢山の芸術作品が生み出されていますが、そういう人間が作った芸術ではなく、神が創ったこの大自然という芸術から宗教心が生まれてくるのだ…ということを、王仁三郎は言いたいようです。

そしてその芸術(神)と宗教(人)とが合一したときに無限の力が発揮されるのでしょう。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2014年10月16日号掲載の文章に加筆訂正したものです)