三五教は感情教

投稿:2017年05月21日

三五教(あなないきょう)というのは霊界物語の主人公スサノオの大神が導く霊的勢力です。

第40巻第6章「仁愛の真相」には、五六七(みろく)の大神と三五教の本質について重要なことが書いてあります。

宣伝使の照国別(てるくにわけ)が、弟子の照公(てるこう)と梅公の二人に「至仁至愛(みろく)」の真相を宣伝歌で教えるシーンです。

照公は、その宣伝歌を聞いて「それは五六七の大神の真相ではなくて木花姫(このはなひめ)の神様の真相では?」と疑問を呈しました。

天教山に鎮まる神霊・木花姫神は、三十三相に身を変じて現れ、人々を救います。
治国別は宣伝歌の中で、五六七の大神に対してそのようなことを歌ったたので、照公は、それは五六七の大神ではなく、木花姫神のことでは?と質問したのです。

その質問に師匠の照国別は
「木花姫神も五六七大神の一部または全部」
だと答えました。
そしてそれだけでなく他の色々な神様、仏様として現れたり、人間になって現れたり、あるいは動物だの植物だのに変化して万有を済度するのが五六七大神であると教えます。

要するに、森羅万象すべてに──自然現象にも人間社会の出来事にも、五六七大神の神性が現れて、万有の救済に動いているわけです。
人間が、そのことに気が付かないだけなのでしょう。

逆に言うと、誰か特定個人が世界を救うわけではなく、神はいろいろな人を使って、自然現象も総動員して、救済活動を行っているのです。

こういう五六七大神の活動に使っていただくことを王仁三郎用語で
「五六七神政に奉仕する」
等と言います。

そして照国別は
「五六七大神は大和魂の根源神」
だと教えます。
その大和魂とは、仏教で言う菩提心(ぼだいしん)のことであり、菩提心とは次の三つの心が集まって出来ていると説きます。

1.慈悲心(同情心)…善の方へ働く感情
2.勝義心(しょうぎしん)…理性
3.三摩地心(さんまちしん)…意志

で、ここからが特に重要です。
治国別は次のように教えます。

──どんなに理性が勝れていても知識が多くても、理性や知識ではすべての人々を救うことはできない。
知識がある者、学力のある者だけがそれを解することができるのであって、多くの人々を救うことは出来ない。
それに対して、神心・仏心は感情であるから、慈悲心も起こり、同情心もよく働く。
この慈悲心・同情心は智者学者はもちろん、すべての人々、いや鳥・獣に至るまでそれを及ぼすことが出来る。
これくらい偉大なものはない──。

なるほど。
ワンちゃんやネコちゃんに理屈や学問は通じませんが、ハートは通じますよね。
民族や宗教、文化、言葉の壁を超えて世界の人すべてに普遍的に通用するものが「感情」です。

そして照国別は続けて言います。

──ウラル教は理智を主として、バラモン教は理性を主とする。
だからどうしても一般人を救うことは出来ない。
三五教は感情教であるから、一切のものがその徳に懐く。
現代のように武力や学力が盛んな世の中で、慈悲心のみで道を拓いて行こうとするのは、何だか頼りなく思うかも知れないが、決してそうではない。
最後の勝利は、よき感情、即ち大慈悲心、同情心が艮(とどめ)をさすのだ──。

三五教は感情教である」というのは重要です。
宗教というのはどうしても、教義に凝り固まってしまう傾向がありますが、凝り固まったらそれはもう三五教ではなく、邪教のウラル教だとかバラモン教と化してしまいます。

ただ、気をつけていただきたいのは、感情教と言っても、理屈や学問はどうでもいいという意味ではないことです。
「感情に流されよ」という意味では決してありません。
学問を無視して感情のみで生きるのは、それはそれで問題です。
何を主とし、何を従とするかの問題です。

原発問題や豊洲市場移転問題で、賛成派は「科学的に安全」だと主張するわけですが、何を安全と感じるかどうかは感情の問題であり、科学の問題ではありません。
科学で出せるのは数字だけです。その数字を安全と感じるか危険と感じるかは、その人の感情によるものです。

危険だと感じる人が大勢いるのに「科学的に安全」だと理屈で押し切ってしまうと、後々大変なことになるわけです。
それを「理性が勝利した」と喜ぶ人もいるでしょうけど、その態度がウラル教とかバラモン教であるのです。(力で押し切るはバラモン教、科学万能主義はウラル教です)

と言って科学を無視したら迷信に陥る可能性もあります。(迷信に陥るのはウラナイ教です)

世の中を治めるには、まず人々の不安感を払拭することが大切です。つまり感情面での解決です。
それを解決するために科学があるわけです。
どんなに科学者が理屈を捏ねまして力説したって、人々が受け入れないのでは、安心立命には至りません。

科学だの法律だので説得するのではなく、感情で、共感・共鳴してもらうやり方が三五教です。(これがつまり「言向け和す」ということです)

王仁三郎は「人類普遍の宗教」を提唱しましたが、その普遍の原理とは、先ほどの照国別のセリフに出て来た「よき感情」即ち「大慈悲心(同情心)」ということになるでしょう。
それは宗教の表に見える教義だとか教典だとかの、その奥にある、目に見えないものです。
その奥義を極めることが出来たら、もう教義も教典も必要ありません。宗教は必要なくなるのです。
王仁三郎は、ミロクの世には宗教は不要になると説きました。逆説的ですが、人類普遍の宗教が樹立された時が、宗教が不要になったミロクの世です。
五六七神政成就の御用に奉仕させていただきたいものです。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2017年3月16日号掲載の文章に加筆訂正したものです)