リーダー不在と依頼心

投稿:2017年05月10日

霊界物語第12巻は「天の岩戸開き」の物語です。

篇が4つあり、すべて「天岩戸開」という篇題が付いています。
ここには色々な形の「天の岩戸開き」が描かれています。

最初の方に初公(はつこう)という侠客が出てきます。
初公は民衆運動のリーダーです。

天候不順で食べ物がなく人々は困っています。初公は人々を煽り、金持ちの春公と酋長を糾弾して食べ物を出させようとします。
春公が食べ物を隠匿しているのです。

しかし春公は「これはいよいよとなったときにみんなを助けるために貯めてあるのだ」とうそぶきます。

また酋長は「みんなの心が悪いから天候も悪いのだ。早く善の精神に立ち直ってくれ」と精神論で対抗します。

初公は怒って「酋長と春公をやっちまえ」と掛け声をかけると、人々は棍棒を振り回しながら二人に襲いかかろうとしました。

そこへ三五教の宣伝使が現われて騒動を治めるのです。

その後いろいろあって(省略)初公は宣伝使に弟子入りして一緒に町を離れて旅に出ることになりました。

このとき初公は次のように語っています。

「…善じゃ善じゃ、世のためだ、国のためじゃ、人のためには身命を賭して、ナンて吐(ぬ)かす奴は、みんな偽善者だ。俺はこう見えても、悪にも強ければ善にも強いのだ。しかしながらどうしたものか、悪はやりたくない。町の奴がかわいそうだから、いやでも応でも、悪の仮面をかぶって憎まれ者になって、酋長や物持ちの春公に掛け合ってみたのだ。世間の奴は善に見せて悪をやる。俺は悪に見せて善を行うのだ…」
──第12巻第4章「初蚊斧」

なるほど。あえて悪人のふりをして、民衆のリーダーになっていたのですね。

そして宣伝使の蚊取別(かとりわけ)は次のように語ります。

「初さまがこの町に居ると、お前たちは気を許して、もたれる気になるからいかない。初さまがこの町を立ち去ったが最後、皆の心が引き締まり、人を杖に突くという依頼心がなくなってしまう。そうすれば力と頼むのは神様ばかりだ。そこにならぬと御神力は与えて下さらぬ…」
──同じく第12巻第4章

みんなが頼りにしているリーダーでも、ある日突然死んだりして居なくなるときがあります。
それは神様からみたら、そういう理由があるのですね。

強いリーダーほど、みんなが頼りにします。「あの人に任せておけば大丈夫だ」と。
それは逆に言うと、他人によりかかって生きる人が増えてしまう可能性があるのです。
会社の社長なんかもそうですが、どちらかというとリーダーはアホの方が部下は伸びますよね。「こんな頼りない社長じゃ会社が潰れてしまう」と、みんな自主的に動くわけです。(^_^;
優秀な社長であるほど、部下は黙って命令に従っていればいい、そうすればすべてうまく行く──そういう状態だと、自分で何かを判断したり考えたりすることがなくなってしまいます。
子育てでもそうですが、親が子を構い過ぎると、一人立ちできなくなってしまいます。

ときには強力なリーダーが必要なときもありますが、下の人間が育つためにはリーダー不在の方がいい場合もあるのではないでしょうか。

王仁三郎のような偉大なカリスマはもう現われることはないでしょう。
芸能界を見ても、百恵ちゃんや聖子ちゃんのような大物は不在です。AKBやエグザイルのように、どこにでもいそうな人がたくさん集まって団体芸を見せる時代になっています。

言い方を変えると、昔と較べて底が上がっているとも言えます。
おニャン子クラブは本当に歌も踊りも下手くそでしたが、AKBは上手いですね。
スキルの格差が小さくなっているので、よほどの芸を見せなければ、大物とは呼ばれません。
政治の世界も同じだと思います。
百年前は「学士さん」と言えば尊敬の的でしたが、今は同年代の六割近くが大学・短大に進学する時代です。
ましてネットで何でも調べることが出来る時代。政治家と一般市民の知識の差というのは、ほとんどないと言ってもいいのではないでしょうか?

リーダー不在、というより、リーダー不要、の時代なのかも知れません。
そういう時代に無くさなくてはいけないのが、依頼心(依存心)です。
「○○が××してくれない」というクレナイ族ではもう破滅あるのみです。
では何を頼ればいいのか?
そこで三五教では「神を力に、誠を杖に」と教えているのです。
前述の蚊取別のセリフにも出て来ました。「力と頼むのは神様ばかりだ」と。
人やモノ、お金を頼らずに、形の無い、目に見えない力を頼れ、ということです。
そこに気づくことは、「心の目が開く」とでも言えばいいでしょうか?
それもまた「天の岩戸開き」の一つの形です。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2014年10月9日号掲載の文章に加筆訂正したものです)