悪になるのはみんな誤解から

投稿:2016年04月07日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

第17巻第15章「敵味方」より、三五教の宣伝使・加米彦(かめひこ)のセリフ

──丹波の鬼ケ城(おにがじょう)に割拠する邪教のバラモン教を言向け和しに向かう、三五教の宣伝使・悦子姫(よしこひめ)の一行は途中、三獄山(みたけやま)の山中で夜を明かした。

そこへバラモン教の兵士が、悦子姫一行を捕まえるため探しにやって来た。
宣伝使・加米彦と、鹿公、馬公の三人は、木の茂みに隠れてバラモン兵士の会話を立ち聞きする。

兵士の一人「…吾々は最善の道だと思って一生懸命に活動しているのだ…」「…何でも三五教という、強い者勝ちの悪神が出て来よって、世界の弱い人民を虐げるということだ…」

会話を聞いていると、どうやらバラモン軍とはいえ、悪人ばかりではないようだ。

鹿公は木の茂みの中でつぶやく。「加米彦さま、世界に絶対の悪人はありませんなア、鬼の子分にもやっぱり善人が混じっているじゃありませんか」

加米彦「そうだ、いかに悪人といっても、元はみな神様の結構な霊(みたま)が血管の中を流れているのだから、悪になるのはみんな誤解からだ。しかし悪と知りつつ悪をやる奴は滅多にいないものだ。吾々もこうして善を尽くしているつもりでも、神様からご覧になれば、知らず知らずの間に罪を重ねているかも知れないよ。だから人間は何事も惟神に任し、己を責め、謙遜し、省みなくてはならないのだ」

と教え諭した──。

世の中に悪党は大勢いますが…いったい何を誤解して悪党になったのでしょうかね?

この物語の中で、バラモン軍が三五教の一行を捕まえようとしていたのは、三五教は人民を虐げる悪徳宗教であると誤解していたからです。バラモン兵にしてみると、三五教を弾圧することは正義であり、善行なのです。

世の中に”悪人”と呼ばれる人は多いですが、しかしそれはみな、自分の行為が「正義」であり「善」であると信じてやっているのかも知れません。

戦争もテロも大量虐殺も、みな悪事を行っているのではなく、国を守るため、民族を守るため、自分たちを守るための正義の行為だと思ってやっています。

人を殺し、傷つけ、盗み、犯すのもきっと、悪事だからやっているのではないのでしょう。もちろん、法律上は悪事であると知識としては知っているでしょうけど、自分にとっては、自分の欲求を満たすための、正義であり善行であるのです。

自分一人にしか通用しない、独善的で偏狭な、とても小さな正義です。

そういう人たちは、いったい何を誤解しているのでしょうか?

自分の欲求を満たすためには、このくらいは許されるだろう、という誤解?
自分の人生がうまく行かないのは、世の中が悪いからだ、という誤解?

私も今までの人生で、いくつも罪を積み重ねて来ましたが・・・たぶんそういう誤解をしていたんだろうなと思います。

「だから人間は何事も惟神に任し、己を責め、謙遜し、省みなくてはならないのだ」

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。)