神は一株 ウラル教だろうが三五教だろうがそんな小さなことを言う神ではない

投稿:2016年04月04日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

第54巻第12章「妖瞑酒」より

ビクの国の玉木の里(玉置村)の里庄テームスとその妻ベリシナは、娘二人を、バラモン軍の兵士に拉致されてしまいました。
そこへ旅の途中の三五教の宣伝使・道晴別(みちはるわけ、旧名・晴公)が現われます。そして事情を知って、娘たちを救出に行くことにします。
しかしその前にまず神様に祈願するために、ウラル教の信者であるテームス夫妻に、三五教に入信する気はないかと尋ねました。そこで取り交わされた三人の会話です。

ベリシナ『どうか、老夫婦が首を鳩(あつ)めて日夜心配を致しておりますから、神様のご神力によってお助け下さいますよう、お願い申します』

道晴別『当家はウラル教と見えますが、あなたは三五教を信仰する気はありませぬか』

ベリシナ『ハイ、神様は元は一株、祖先が祭った神様をにわかに子孫が替えるというのは、何だか先祖に対してすまないような気が致します。あなたの信仰遊ばす三五の神様をお祭り致しても神罰は当たりますまいかな』

道晴別『神様は一株だから、ウラル教になろうが、三五教になろうがそんな小さい事をおっしゃる神様じゃありませぬ。そして最も神徳の高い詐(いつわ)りのない誠一つの教えを信仰するが、祖先へ対しての孝行でございましょう。まず第一に三五の神様をお祭り致し、その御神徳によって、お二人様の命が助かるよう、願おうじゃありませぬか。それとも、どうしてもウラル教を改めるのがいやとおっしゃるならば、それでよろしい。決してお勧めは致しませぬから……』

テームス『婆の意見は何と申すか知りませぬが、これだけ朝から晩まで、ウラルの神様を信仰しながら、こんなに苦しい目にあうのでございますから、ウラル教の神様もこの頃はどうかしてござるだろうと疑っております。現にビクの国のビクトリア王様もウラル教でいらっしゃるのに、あのような大難にお会いなされ、三五の神様に助けられたとの噂が立っておりまする。どうぞよろしうお願い致します。ベリシナ、お前もヨモヤ異存はあるまいなア』

ベリシナ『あなたがそうおっしゃるのならば、女房の私は決して異議は申しませぬ。どうぞ祀ってもらって下さいませ』

道晴別『しからば三五教の神様と、ウラル教を守護遊ばす盤古神王様を並べて祀る事に致しましょう。神様は元は一つでございますからなア』

テームス『いかにも仰せの通り、実に公平無私なお言葉、まず第一に神様をお祀り致し、その上、娘を救って頂く事に願いましょう』

真の神の教えは「うちの宗教に入らなくては救われない」というケチな教えではなく、他教であっても救うというのが、真の神です。
ましてウラル教やバラモン教は「邪教」という位置づけになるんですが、それでも救う、というのが真の神です。
ウラル教の神(盤古神王)は下級神ですが、元を辿れば真の神(ここでは国祖・国常立尊のこと)の子孫です。「親の言うことをきく良い子だけ可愛がって、言うことを聞かない悪い子は家から追い出す」というのは、親としては二流三流だと思います。真の神の心は「悪い子でも救う」です。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。)