超古代の船の漕ぎ方

投稿:2016年03月21日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

第33巻第17章「感謝の涙」

 高島丸はテルの国(注・南米チリ)、ハラの港より西へ西へと進んで、現今の日本国台湾島へ帰って来た。
今日の航路より見れば全然反対の道をとり、かつ非常に迂回しているのは、三十万年前の地球の傾斜の関係および潮流の関係によったものである。蒸気の力をもって自由自在に航行する現代に比ぶれば、非常に不便なものであった。しかしながらその速力は今日の二十浬(ノット)以上を、風なき時といえども、航行する事が出来たのである。
その故は、たとえば二百人乗りの船ならば、船の両舷側に百本の艪櫂(ろかい)がついていて、二百人の乗客のうち百人は、力限りに艪櫂を漕ぎ、やや疲労したる時は、また百人これに代わり、かわるがわる艪櫂を漕いだものである。船頭はただ船の方向を定め、水先を調べ、舵をとるのみであった。大きな船になると、二階造りになり、下からも、上からも船を漕ぐ仕掛になっていた。ちょうどど舷(ふなばた)を見ると、蜈蚣(むかで)の足のように見ゆる船の造り方であった。それゆえ非常な速力で、少々の荒波ぐらいには少しも弱らなかったのである。
かつまた昔の人は総じて剛胆者が多く、臆病者は頭から乗船を許さなかったのである。故にあまり役に立たぬ老人(としより)や、子供の船客は皆無といっても良いくらいであった。特別の事情ある者でなければ、船に乗ることを互いに戒めて許さなかったものである。