謝恩の生活・青砥藤綱(あおとふじつな)

投稿:2016年01月02日

「三鏡」(さんかがみ)は出口王仁三郎が信者に語った「如是我聞」集で、『水鏡』『月鏡』『玉鏡』の3冊の総称です。

その月鏡に「謝恩の生活」と題する文があるんですが、その一番最後に青砥藤綱(あおと・ふじつな)のことが少しだけ出てきます。

青砥藤綱は滑川(なめりがわ)に一銭の金を落し、五十銭の日当を与えて、川底を探らしめたという。かくの如きは天下の宝を将来に失う事を恐れた謝恩心にほかならないのである。吾人はどこまでも青砥藤綱の心事(しんじ)を学ばねばならぬ。

これだけだと何のことだかよく分からないのですが、調べてみたら、とても役に立つ話でした。

青砥藤綱は鎌倉時代の武将です。
『太平記(巻第三十五)』によると藤綱は夜、外出した際に誤って川に10文銭を落としてしまいました。そこで50文で松明(たいまつ)を買い求めて部下に探させました。

しかし10文を探すのに50文も使ったのでは割に合いませんよね。
それでは大損ではないかとバカにして笑った人に対して、藤綱は、
「10文は探して見つけなくては再び社会で利用されることがないので、天下の大損である。しかし50文は自分は損をしたかも知れないが、他人の手に渡り利用されるので、探した10文と合わせて60文、社会の損にはならない」
と教え諭したそうです。

なるほど。自分の損得ではなく、天下の損得を考えているわけですね。
これはちょっとしたカルチャーショックでした。今まで気づきませんでした。

卑近な話題ですが──たとえばパチンコや競馬で負けても、自分は損をしたかも知れませんが、使ったお金はパチンコ店や中央競馬会を経由して社会に流通し、人々の懐を潤して行きます。天下のことを考えれば決して無駄遣いではありません。

「金は天下の回り物」ということわざがありますが、回ってこそ価値があるのであって、回らなかったら、何の価値もないのです。

そういう点では“タンス預金”こそ無駄遣いであると言えます。

日銀の試算によると、現金を自宅に保管するタンス預金は日本全体で30兆円程度あるそうです。
政府予算が100兆円前後ですから、タンス預金の巨額さがわかります。

このお金はひょっとしたら、かなりの額が燃えてなくなってしまっているかも知れませんよ。

ときどきニュースで、「粗大ゴミの焼却場から、5000万円の札束が発見された」というような報道があります。
捨てられたタンスやピアノの中に隠してあったというのです。

たとえば一人暮らしの老人が孤独死したりすると、遠い親戚がやって来て預金通帳だけ自分で持って帰り、家財道具はそのまま業者に処分させたりします。するとその家財の中に現金が隠してあるのが見つかるのです。

なぜ自宅に多額の現金を置いておくのかというと、銀行が信用できない、人が信用できない、信用できるのはお金だけ──ということなのではないでしょうか?

運よく見つかればいいですが、燃えちゃった現金も多いのではないのかと思います。

燃えてしまったら・・・これは社会にとっては大損です。国の富がそれだけ減少してしまうのです。
たとえ無駄遣いでもいいから使えば、そのお金が循環して行くのです。
使わないで貯めておくのは、経済上は大犯罪です。

自分のお金なんだから、使おうと使うまいと、自分の勝手だろ・・・というわけには行かないのです。

特に使い道がなくても、家に現金で置いておくのではなく、銀行に預金したり、株や不動産、貴金属なんかを買ったりすれば、お金は社会に出て、循環するんですけどね。

「謝恩の生活」に、この青砥藤綱の話よりも前の方に、紡績工場の火事の話が出ています。

こちらはお金ではなく、物品についてですが──天下国家のことを考えるなら、火災保険を掛けているから燃えてしまってもいい、という考えは利己主義だ──と王仁三郎は指摘しています。

兵庫あたりの某紡績工場の近隣に、火災が起こった時に、多大の綿花が倉庫にあったので職工連が万一を気遣ってどんどんとよそへ運び出していた。
そこへ幹部の役員が出て来て、この状を見るなり、火のようになって叱りつけた。
そして「この綿花には十万円の保険がつけてあるから、他へ運ぶ必要は無い。焼けても原価に該当するだけの保険金が取れる。運搬すればそれだけの労銀が要る。いらぬ世話を焼くな」
と言ったとの事であるが、この役員どもは、どうして綿花が出来たかということを知らぬ冥加知らずである。
そして多数者の労力を反故にするものである。
代償の金さえあれば、社会の損失を知らぬ、利己主義の人間である。
なおこの綿花を焼失したなら、多くの人々が、寒さを防ぐ衣類が、出来なくなるという社会の人の幸福を、度外視したる悪魔の所為である。

現金を私物化するのも、モノを私物化するのも、経済上は犯罪になるわけです。王仁三郎は「悪魔の所為」と厳しく指摘しています。

自分の財布の中だけで勘定するのではなく、社会全体の大きな財布で勘定する必要があります。
しかし現金やモノを私物化している連中がいるので、貧富の差が大きくなるのでしょう。

この「謝恩の生活」では、謝恩心の大切さを説いているのですが、「感謝して生きる」ということが社会の中に広まって行けば、経済の仕組みをも変えてしまう可能性があることが何となくわかります。
社会を変革して行くには、外面的なシステムの改革よりも、まず、こういう内面的な改革が先に来なくてはいけないと思います。

(この記事は2009年11月6日にブログ「霊界物語の新常識」に掲載した記事を加筆訂正したものです)