「笑いの座」と「言論自由の日」

投稿:2015年12月28日

霊界物語第67巻第4章に「笑いの座」のことが書かれてあります。

バラモン教の大教主・大黒主(おおくろぬし)が覇権を握る月の国(インド)が舞台です。

「ハルの湖(うみ)」という大湖水があり、そこに浮かぶ船上で「笑いの座」が開かれました。

この地方の風習として、人々いずれも閑散な時には無聊(ぶりょう)を慰むるために、笑いの座というものが催されることがある。
笑の座に参加する者は、いずれも黒い布で面部を包み、何人(なにびと)か分からぬようにしておいて、上は王公より下は下女下男の噂や、国家の現状や人情の機微などを話し、面白く可笑しく、罵詈嘲笑を逞しうして、笑いこけ、互いに修身斉家の羅針盤とするのである。
さすが権力旺盛なる大黒主といえども、この笑いの座のみには一指を染むることも出来なかった。
笑いの座は庶民が国政に参与することのない代わりに、その不平や鬱憤を洩らし、あるいは政治の善悪正邪や、国家の利害得失までも、怯めず臆せず何人の前にても喋々喃々(ちょうちょうなんなん)と吐露することを、不文律的に許されていたのである。
第67巻第4章「笑の座」

黒い布で顔を包むという、要するに匿名座談会です。つまり現代だと、2ちゃんねるなどの匿名掲示板がこの「笑いの座」の機能を果たしているのではないでしょうか?

王仁三郎が説く未来暦である「十ヶ月暦」の中にも、笑いの座と似たような「言論自由の日」が設けられています。

まず一ケ月を三十五日と定める。(中略)神の道からいうと、三五即ち「あなない教」に因縁をもつ。三五教は天地惟神の大道である。
三十六日目は、ミロクの教であるから、この日は週に加えず祭日とする。
隔月に三十七日目をもつわけであるが、その日は閑日と称して言論自由の日とする。あたかも霊界物語中にある笑いの座の如く、その日はいかなる人がいかなる言論をなすとも自由であって、何らの制裁をも受けないことにする。
〔玉鏡「十ケ月暦」〕

言論の自由がない時代(今でも言論の自由がない国がありますが)では、たしかにこういう行事も必要なのかも知れません。人々の不平不満、欲求不満を解消するためのガス抜きとしての効果があると思います。
ガス抜きを封じ込めてしまうとガスが溜まって行き、いつかそれが爆発(革命とか暴動とか)してしまうからです。

しかし現代のように言論自由の社会になってもまだ「言論自由の日」は必要なのでしょうか?

旧来のタブー(天皇や権力に対するタブー等)はもうほとんど消滅したように思います。何でも言いたい放題です。

しかし新たなタブーが生れています。「人種差別」や「被差別部落」「障害者」などに対する発言は注意が必要です。「ヘイトスピーチ」だとか「人権侵害」と糾弾されて、社会から抹殺され、刑罰を受ける可能性もあります。

「言論自由だからといって、他人の人権を侵害する発言が許されるはずがない!」と多くの人は思うことでしょう。

しかしまあ、どうなんでしょうかね??

昔から、善と悪のボーダーラインを職業にしてきた人たちがいます。それが「お笑い芸人」です。
古今東西、お笑い芸人は、権力を批判したり、人権を侵害することが許されて来ました。
タブーをお笑いに変えてしまうのです。

ビートたけしなんて老人差別で人気を得た芸人ですし、今でも「ハゲ」とか「チビ」「デブ」「ブス」「貧乏」といった人権侵害発言をネタにしている芸人は大勢います。

自分が障害者でありながら、障害をネタにしている障害者芸人もいます。
たとえば↓この「脳性マヒブラザーズ」
https://youtu.be/usaYzskZ0aw
脳性マヒの本人がやっているので「笑ってもいいかな」と思いますが、このネタを健常者がやったらちょっと笑えませんね。単に障害者をバカにしているだけですね。

通常、社会ではやってはいけないこと、タブーというものがあるわけですが、タブーがこの世にある限り、タブー破りをする特殊な領域は必要ではないかと思います。

タブーとは「○○をしてはいけない」という戒律であり、そこには緊張が生まれます。緊張を緩和するのが「笑い」です。
何らかの形で緊張を緩和しないと、社会はギクシャクして来ます。ガスが溜まって行くのです。

「いや、だからといって、人を差別したり、侮辱するようなことが許されていいはずがない!」と思う人は大勢いると思います。
まさに、そういう目くじらを立てる人がこの世にいる限り「笑いの座」は必要なんだと思います。

在特会が「在日朝鮮人は特殊な利権を得ている、けしからん」と糾弾したことが、逆にヘイトスピーチだとして社会から糾弾されましたが(2013~4年頃)、「在日朝鮮人が特殊利権を得ている」ということが、誤解であり、偏見であるとしても、そういう言論を一切封殺してしまったら、そういう誤解や偏見を持っている人がいるということ自体が分からなくなってしまいます。
人々が腹の中にそういう思いを抱いたまま生活しているとしたら、あまり目立たないところで在日朝鮮人に対する差別が蔓延して行くことになります。
たとえヘイトスピーチだとしても、それを発言してくれたから、そういう偏見を持っている人がいるということが発覚したのであり、それによって偏見をなくすために社会を改善しようという動きも出るわけですが、発言自体を封殺したら、偏見が無くなるどころか、逆に不満が溜まってどんどん偏見が広がる可能性があります。ガスが溜まって行ってしまうのです。

しかし。
日常的にヘイトスピーチをやられたら困りますしね。

そこで、そういうことが許される(処罰が免れる)、特殊な領域が社会に必要になるわけです。

それが「笑いの座」であり「言論自由の日」であり「お笑い芸人」です。

社会の中で、ある特定の場所だけ、ある特定の日だけ、ある特定の職業の人だけ、タブー破りを許して、社会の緊張を緩和し、また人の心の奥底に潜んでいる本音を表に出させる、そういう機能が必要なんだと思います。
それは、日常的にやらせないためでもあります。

現代ではインターネットを使えば、いつでもどこでも一日24時間、何でも言いたい放題ですね。毎日が「笑いの座」です。
しかしそれもインターネットという特殊な空間の中だけの話でして、現実空間では言えないことは沢山あります。

もし、何を言っても許される日があったら、あなたは何を言いますか?
もちろん、匿名ですよ。
夫や妻に対して言いたい、という人が一番多いかも知れませんね。(^_^;

(この記事は2010年3月5日にブログ「霊界物語の新常識」に掲載した記事を加筆訂正したものです)