大本台湾別院の写真

投稿:2015年12月21日

去年の夏(2014年7月)のことですが、ある方から大本台湾別院の写真をいただきました。
貴重な写真を提供していただきどうもありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。

戦前、台湾には大本の別院が2ヵ所ありました。台北の台湾別院と、基隆別院です。
次の写真は昭和8年(1933年)8月20日、台湾別院の敷地内の「憧憬歌碑」の除幕式のものだと思われます。

これは、歌碑の部分のアップです。
歌碑の前にいる人は、大宣伝使服を着た出口王仁三郎ではないかと思います。
歌碑のはるか彼方に見える山は「七星山」のようです。

この地は「草山(そうざん)」(現在は陽明山)と言い、日本で言うと東京に対する熱海のようなところで、首都・台北の北部の山中にあり温泉保養地になっています。
王仁三郎が草山滞在中に詠んだ歌にも、よく温泉に入った歌が出てきます。

はつはるの陽ひはうららなり草山の温泉(いでゆ)のけむりしづかにのぼる
一月のはじめなれども草山の温泉(いでゆ)の里はくつわ虫なく
山羌(キヨン)の声暗(やみ)の林に聞(きこ)えつつ温泉(いでゆ)の夜は静かに更けゆく

キョンというのは鹿の一種です。
この温泉というのは、台湾別院から1キロ弱離れたところにある「霊泉郷」に宿泊して、そこの温泉につかっていたようです。
その霊泉郷の写真です。

ここはもともと松田徳三宣伝使の別荘でした。現在はどこかの会社の保養施設になっているようですが、今でも門の前には王仁三郎が揮毫した「霊泉郷」の文字を彫った石碑が立っており、敷地内には松田宣伝使の雅号「寄山」で詠まれた歌碑があります。「天地乃恵みうつくし露の玉」という川柳です。

写真を提供してくれた方は、この松田宣伝使の親戚の方です。台湾生まれで、子供の頃は霊泉郷に疎開していたとのこと。床の間にはカボチャくらいの大きさの隕石があったそうです。

松田宣伝使はこういう方でした。

王仁三郎の生母・上田ヨネさんの写真もいただきました。

私は2007年に台湾に行って、この台湾別院と霊泉郷の場所を確認したことがあります。その時のレポート台湾に関する資料がオニド・アーカイブにありますので参考にして下さい。