霊界物語の残りの巻はタイプライターで打つつもりだった?

投稿:2015年11月18日

王仁三郎は霊界物語を120巻まで書く予定でしたが(第1巻附記、第37巻序、第73巻序文を参照)、結局81巻で終わってしまいました。
昭和9~10年に天祥地瑞を書き終えた後、第二次大本事件が起きてしまったので、仕方ないかも知れません。
しかし王仁三郎は出獄したら、残りの39巻を書くつもりで、側近にタイプに習えと指示していました。
今までは自分は口述して弟子に筆録させるという形で執筆してきましたが、今度はハイテクを導入してタイプライターで打たせようとしたみたいです。

王仁三郎の晩年に7年間、側近をしていた三浦玖仁子さんの著書『花いろいろ』という本に、次のように書いてあります。

ある日のことです。聖師さまからお便りを通し、「わしはタイプが必要だからタイプを習っておいてくれ」とのお指図を頂戴したのです。私は、さっそく藪内家から市内のYMCAへタイプを習いに通いました。あとで伺ったことですが、聖師さまは-刑務所から出てから、あと四十巻ほど物語を出す-ご予定だったのです。その内容は-刑務所の中のことを面白く風刺して書く-はずであったのです。そのためにタイプを勉強しておくようにお命じになったのですが、結局、そのご計画も、ご無理がたたり実現するにいたりませんでした。
(三浦玖仁子・著『花いろいろ ──出口王仁三郎聖師側近七年の記録』1988年、P41~42)

和文タイプライターというのは、調べてみると、すでに大正4年(1915年)に製品化されていたようです。パソコンのキーボードは100個くらいしかキーがないですが、和文タイプライターは仮名漢字変換なんてないですから、漢字を直接打ち込むので、キーが2000個以上あったようです。タイプを覚えるのはかなりたいへんだったことでしょう。

○和文タイプライターについて
 ウィキペディア
 これなあに?

ところで王仁三郎が現代に生きていたら、どうやって霊界物語を書いたでしょうね? パソコン使って自分で書いた?
私は必ずしも文章にはしなかったのではないかと思いますよ。何故なら霊界物語は王仁三郎が霊眼・霊耳で見聞きした出来事だからです。当時はもっとも簡単な表現方法が活字だったというだけで、IT技術の進んだ現代にもし王仁三郎が生きていたら・・・マンガやアニメ、あるいは3D映像として記録したのではないかと思います。