王仁三郎の兄弟姉妹

投稿:2018年02月11日

出口王仁三郎(幼名・上田喜三郎)は8人兄弟の長男である。
男5人、女3人。ただし長女(絹子)は4歳で夭折し、五男(久太郎)も生後数十日で夭折したため、資料によっては7人または6人兄弟として扱われる場合がある。
父は上田吉松(よしまつ)、母は世祢(よね)。

  • 長男/喜三郎(王仁三郎)/明治4年(1871年)7月12日生まれ(新8月27日)
  • 二男/由松(よしまつ)/明治7年(1874年)1月4日(旧11月16日)生まれ(『大本年表』)
  • 長女/絹子/「四歳にして帰幽した」(『故郷乃二十八年』)
  • 三男/幸吉(こうきち)/明治12年(1879年)3月15日(旧2月23日)生まれ(『大本年表』)/丹後の沼麻奈為神社の宮司を務める
  • 二女/雪子/明治15年(1882年)3月19日(旧2月1日)生まれ(『大本年表』)/夫は西田元教
  • 四男/政一(小竹玖仁彦)/明治18年(1885年)「秋」の生まれ(『大地の母』第1巻p106)/明治28年に京都市の小竹宗太郎の養子となる(『大地の母』第2巻p106)
  • 五男/久太郎/明治21年(1888年)3月7日(旧1月25日)生まれ(『大本年表』)/「久太郎は出生後数十日にして帰幽した」(『故郷乃二十八年』)
  • 三女/君子/明治24年(1891年)9月22日(旧8月2日)生まれ(『大本年表』)/小西増吉と結婚。

●「王仁には八人の弟妹があって、次を由松・三男が幸吉・四男が政一・五男を久太郎と曰う。久太郎は出生後数十日にして帰幽した。長妹を絹子と云った。是も四歳にして帰幽した。次妹を雪子・末の妹を君子と曰う。残った六人の兄弟は無病健全に、神務に従事して居る。只次弟の由松のみ穴太の片田舎にて、家督相続を為し、農業に従事して居るのである。」(王仁三郎『故郷乃二十八年』)
●『大本七十年史 上』p111に家系図が載っている。
●出口直の子供も8人(男3人女5人)、王仁三郎・澄子の子供も8人いる(男2人女6人、ただし男2人と女1人は夭折したため娘5人として扱われる場合が多い)。
●明治43年(1910年)11月1日、王仁三郎の実弟・幸吉は、王仁三郎の養子となり、王仁三郎が隠居するという形で、上田家を継ぐ。(『大本年表』、『大地の母』第9巻「大逆事件」)