言向和(32) クレーム対応─相手の気持ちに共鳴する

投稿:2017年08月23日

日常生活での人間関係だけではなく、仕事における人間関係でも「言向け和す」は大切です。

たとえば企業で顧客のクレーム対応をするお客様係。
商品が壊れてたり、動かなかったりして、お客さんは電話をかけて来ます。怒っているので、たいていはケンカ腰で電話して来るのではないでしょうか? だから通常では言わないような汚い言葉で罵ったり、人格を非難するような言葉を吐くことも多いことでしょう。
「お前バカか!何度言ったら分かるんだ!」
「女じゃダメだ!上司を出せ!」
しかしどんなに罵声を浴びせられても、お客さんに対して罵声を返してはいけません。ますます客は怒り出して収拾がつかなくなります。

1999年に、ある大手電器メーカーのクレーム対応が悪くてネット上で大騒動になった事件がありました。
量販店でそのメーカーのビデオデッキを購入した男性が、製品に不具合があって修理に出したところ、男性の許可を取らずに勝手に改造され、その上、購入店 → メーカーのサービスマン → メーカー本社 と担当者が次々と変わってタライ回しにされた挙げ句に、メーカーの担当者が男性に、
「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうの、お客さんはね、クレーマーっちゅうの」
と暴言を吐いたのです。

男性はその会話を録音していて、インターネット上でそれを公開しました。
するとそれを見た人が問題視してネット上で騒ぎ出し、怒ったメーカーが男性に録音データ公開の差し止めを求めて裁判所に仮処分を申請。
そして大手マスコミがそれを報道して大騒動となり、怒ったネットユーザーたちによる不買運動へと発展してしまったのです。

クレーム担当者の対応が悪いと、企業全体の存亡の危機にもなりかねません。
しかし、もしお客さんを言向け和すことが出来たなら……逆に顧客満足度が上がり、お客さんにとっても企業にとってもハッピーな関係になるのです。

インターネットで調べると、クレーム対応の心得やノウハウを書いた本がたくさん出ています。
その中から、中村友妃子さんの著書『あなたが担当でよかった! ─クレームが感謝に変わる最強の心理学』(2004年、青春出版社)の「はじめに」から引用してみます。
大手企業で長年クレーム対応業務に携わり、その後独立して苦情対応研修の会社を経営されている方です。

「……ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
 なんとか、相手に聞こえる程度の声で最後のあいさつをした。相手が受話器を置く音を確認して、ゆっくりと私も受話器を置いた。
 受話器を持っていた左のひじが、伸ばせないほど固まっている。指先はしびれている。
 受話器を当てていた左耳が熱い。そんなことよりも、もうすぐ涙があふれる。
 ふりしぼって、やっと出た最後の声は、気をゆるめるととっくに泣き声になっていた。
 急いでトイレにかけこみ、鳴咽をこらえて泣いた。五分ほどそうしているとすっきりする。
 そして、次の瞬間には爽快な気分になる。
 ──お客様対応業務の中で、そんなことが何度となくありました。
 あれほどカンカンだったお客様のお怒りが、だんだんやわらいできて、最後には、
「自分が言いすぎた」
と言ってくれた嬉しさ、感謝と感動と達成感。それが涙の理由でした。さらには、
「自分もあの電話では興奮しすぎました、ごめんなさいね。仕事頑張ってください」
など、わざわざお客様からお手紙をいただくようになり、その手紙をデスクで一読し、おもむろに引き出しにしまい、嬉しくて席を立つということもしばしばありました。
 こうしてお客様と分かり合えた瞬間の感動が忘れられず、いつのまにかお客様対応の仕事から離れられなくなっていました。

なるほど。すごいですね。
これこそ「言向け和す」です。
客も担当者も、両方がハッピーになれるのです。
この後も読んでみましょう。

 でも、そういう感動的な体験にめぐり合うまでには、その何倍も、苦労やつらい経験をしなければならないのがこの仕事の摂理でもあります。
 乱暴な言葉や大声を浴びせられる恐ろしさ、お客様の陰鬱な口調からふくらむ不安、出口の見えない迷走する会話、心を引きずって出かけた相対交渉(お客様と直接お会いしてお話しすること)など、苦しかったり、腹立たしかったり、さまざまな経験をしました。
 そのたびに、この仕事から逃避したいという思いにかられたものです。でも、心が「疲れた」と音を上げる寸前に、タイミング良く、お客様との感動的な結末を体験できたことが、私をクレーム対応業務を主とする会社をつくるまでにしてくれたと思います。(中略)
 お客様はそれぞれが、お客様独自の「心の事情」を抱えています。そこに気づき、応えることがクレーム対応の本旨だと、今になると思えてなりません。そうすることによって、「企業対消費者」ではなく、「人と人」という関係になっていくことができます。
 そこから、お客様から見れば、「この人が担当でいてくれてよかった」と思えるような対応になるのだと思います。

この「心の事情」というものはどういうものかというと、たとえば「孫の誕生日に贈ったケーキのネームプレートの名前が間違っている!」と怒ってクレームの電話をかけてきた女性がいたとします。その女性が一番言いたいことは「孫に嫌われ、息子夫婦の前で恥をかいた!」という切なさであり、そこに気づかなければ解決しないというのです。

名前が間違っていることに怒っているのではなく、そのことで孫に嫌われたり恥をかいたりした切なさ、悔しさ、寂しさ、そういう気持ちに共鳴してこそ、「この担当者は自分を分かってくれた」と思ってもらえるのでしょう。

罪を謝るというのは、「罪を謝る」のではなく、被害を受けた人の気持ちに「共鳴(共感)」することなのかも知れません。
そもそも窓口の担当者は、自分が悪いわけではないので(製造や営業、あるいは経営の問題だったりするので)本心から謝ることなんてできないでしょう。あくまでも会社の業務として謝るだけです。
しかしお客様の気持ちに共鳴することならできると思います。

   ○   ○   ○

相手の気持ちに共鳴できずに人間関係がおかしくなってしまうことは、よくあるのではないでしょうか?
特に家族など、身近にいる人は「自分の気持ちを分かってくれるはずだ」「分かって欲しい」という期待感があるので、その期待が外れると悲しさは層一層高まり、人間関係に深い溝を作ることになります。

テレビドラマで次のようなシチュエーションをときどき見かけます。
──子どもがグレて父親に反抗した。「お父さんは何にもしてくれない」と凄い憎しみの目を睨みつける。仕事一筋で家庭を顧みない父親は「お前の欲しいものは何でも買ってあげたのに、何で逆らうんだ?」と子どもの気持ちが理解できない。子どもは「お金の問題じゃないよ。もっとお父さんと一緒に居たかったんだ」と心の奥底にしまっていた声を叫んだ──。

これはドラマの中だけではなく、実際の家庭にも起き得ることです。
この子どもの気持ちに共鳴しなくては、謝ろうと何しようと子どもは許してくれないことでしょう。

ですが父親にも当然事情があります。家族のために一生懸命働いているのです。決して子どもを無視しているわけではありません。残業や休日出勤を断って、子どもと一緒にいる時間を作る、ということができない大人の事情があるのです。
つまり自分が悪いわけではないので、「自分が悪かった」なんて思うことはないでしょう。

しかし、子どもの「お父さんと一緒に居られなくて寂しい」という気持ちに共鳴することなら、できるのではないでしょうか?

子どもが本当に伝えたいことは「一緒に居て欲しい」ということではなくて、「一緒に居られなくて淋しい、悲しい、心細い」という気持ちなのです。その気持ちに共鳴して欲しいのです。お父さんは忙しくて一緒に居ることができないということは、話せば分かります。理性で理解できます。しかし感情が叫ぶのです、「淋しい」と。その感情の響きに共鳴(共感)して、二人が打ち解け合って心が一つになることが、「一緒に居る」ことなのではないでしょうか?

和合するというのも、罪を許すというのも、みな同じことではないかと思います。一つになった世界、それが「言向け和す」が目指す世界なのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2015年3月19日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)