言向和(24) 「言向け和す」は戦士のための戦陣訓

投稿:2017年08月15日

「言向け和す」は平和な世界にはありません。争いの中にあります。
皇祖・天照大御神が天孫に「地上を言向け和して一つにしなさい」と命じたのも、地上が争乱の世界だからであり、霊界物語で宣伝使が言向け和す旅をするのも、地上が悪がはびこる世界だからです。

「和(わ)」は名詞ですが、「和(やわ)す」は動詞です。
「戦争と平和」というような、静的な名詞の対置ではなく、「戦争を平和にする」という動的な意味があるのです。

ですから、戦乱の中にこそ「言向け和す」が必要なのであり、「言向け和す」は戦国の世を生きる戦士の戦陣訓(心得)とも言えるものです。

『私は別に自衛隊員じゃないから関係ない』と思う人も多いことでしょう。
しかしあなたも戦士のはずです。
私たちの身の回りは争いだらけじゃありませんか!

夫婦喧嘩に親子喧嘩に兄弟喧嘩。
会社に行けば上司や部下と口論し、電車に乗れば、女性なら痴漢との戦い、男性なら痴漢に間違われないように戦い、学校ではいじめっ子や体罰教師と戦い、社会では原発や改憲と戦い、ネットではネトウヨやマスゴミと戦い、もう日常が戦場です。
争いの種はそこら中にあります。
利害が対立すればそこに争いが発生するのですから、我の張った現代社会ではなおさらです。
戦いに疲れて田舎暮らしを始めてみても、原発が爆発したりICBMが落ちて来たりして、静かに暮らすことなんて出来ません。
人は戦わずには生きていけないのです。

戦いに挑む戦士の心得(戦陣訓、軍人訓)が「言向け和す」です。

霊界物語を読み出した初めの頃、感じたことは、なぜこんなに戦記調で書いてあるのだろうか、ということです。
霊主体従編(第1~12巻)はまさに戦争の話ばかりですし、それ以降の巻も、何で平和を説く宗教を布教するのに、「敵」だとか「言霊戦」だとか、そういう殺伐とした言葉で表現してあるのか、今ひとつ理解できませんでした。
まあ、当時は軍国主義全盛の時代ですからね、そういう感じの文章の方が受け入れやすかったのかなー、という程度の認識しかありませんでした。

しかし「言向け和す」を探究するにつれ、これは戦士の戦陣訓であると感じるようになって行ったのです。

この地上界にはまだまだ戦乱がたくさんあります。国家間の戦争やテロだけでなく、日常生活でも争いだらけです。
だから言向け和す必要があるのです。
私たちは争いと無縁ではいられません。
黙っていても、争いは向こうからやって来ます。
家の隣に突然、産廃処理場や道路が造られるかも知れません。
道を歩いていたら突然、車が突っ込んで来たり通り魔に遇ったりするかも知れません。
嫌だと思っていても、面倒なことに巻き込まれてしまうのです。

それに対して、どのようにして戦っていけばいいのか。

それを私たちは、何も学んでいません。
親も、学校も、誰も何も教えてくれません。

だから、いきなり戦場に立つことになり、頭に血が上ったままで戦争へ参加して行くことになるのです。

それで勝ち目はないですよ。

痴漢に遭っても、痴漢と間違われても、勝ち目はないです。泣き寝入りです。
夫婦喧嘩は、離婚がオチです。
ブラック企業には勝てないし、多数決にも勝てません。
セクハラにも、ハニートラップにも、オレオレ詐欺にも勝てません。

戦い方も知らずに、いきなり面倒に巻き込まれて、勝てるはずがないのです。

その戦い方が「言向け和す」です。

霊界物語は、戦乱の地上界をいかにして生きて行くか、いかにして戦乱を鎮め、平らに治めて行くか、それが書かれた書物なのです。

戦士が読む本なのです。

であるから、霊界物語は戦記調で書かれているのではないか──と思うのです。

(続く)