言向和(14) これは「言向け和す」ではないだろう、というエピソード

投稿:2017年07月30日

霊界物語ではスサノオの手足となる宣伝使たちが、悪を言向け和して行きます。
しかし、「言向け和す」ではないケースもあります。

宣伝使も新米の駆け出しのうちは、「言向け和す」ということがよく分からずに、力で押して行くケースがあります。
そういう場合はたいてい、悪党たちは言向け和されずに逃げ出してしまうようです。
その一例を紹介します。

第15巻の最初の方に、スサノオの8人の娘が出てきます。
彼女たちを「八人乙女(やたりおとめ)」と呼びます。

彼女たちは、スサノオの指令を受けてメソポタミヤの顕恩郷(けんおんきょう)に潜入。
そこは邪教のバラモン教が占領し、アジトになっています。そこを三五教に帰順させて、解放することがミッションです。
八人乙女はバラモン教の大将の鬼雲彦(おにくもひこ)の部下となり、秘かに時をうかがっていました。
また、そこで働いていた8人のバラモン信者の女性は、八人乙女に感化されて三五教に改宗し、八人乙女の侍女となっていました。

そして、三五教の宣伝使・太玉命(ふとたまのみこと)が顕恩郷に現れたの機に、16人の女性たちは自分たちの正体をカミングアウトして、鬼雲彦に改心を迫ります。

その時16人の女性軍は、鬼雲彦夫婦の回りを取り囲み、手に手に懐剣(短刀)を握って改心を迫るのです。「すみやかに前非を悔いて三五教に従えよ」と。〔第15巻第3章「十六花」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1503

──このようなやり方をどう思いますか?

これは古事記で、タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫る場面と同じです。地面に十掬(とつか)の剣を突き刺して国を譲れと迫るのです。(第4回参照)
こういうやり方はとうてい「言向け和す」とは言えません。脅迫です。

霊界物語を何も考えずにボケーと読んでると、スサノオ=救世主=善だからその娘たちも善だろう、という短絡的な方程式によって、こういう暴力的なやり方も「あり」なんだな、と肯定してしまう人もいるのではないかと思います。

よく審神(さにわ)しながら読まねばなりません。その基準が真の神の大御心です。
国祖やスサノオの大御心は「言向け和す」です。
「言向け和す」を基準に判断すると、八人乙女たちのやり方はちょっとおかしいんじゃないのと突っ込まざるを得ません。

懐剣を手にした八人乙女たちに取り囲まれた鬼雲彦夫妻は、窓の外から飛び降り、空の彼方に飛び去ってしまいました。
言向け和せずに、逃げられてしまったのです。

そういう脅迫的・暴力的なやり方ではダメだ、ということです。

第12回で『霊界物語コミックス1 深遠微妙』を紹介しましたが、そこにも失敗例が出て来ます。

ウラナイ教の高姫が、五六七神政に必要とされる大切な「如意宝珠の玉」を奪い、口から呑み込んでしまいました。
三五教の宣伝使・亀彦は激怒して「腹を割いてでも取り戻してやらねばならぬ」「両刃の剣を御馳走してやる!」と、刀を引き抜いて高姫を斬りつけようとするのです。
すると高姫は「ギャッハハハ、ギョッホホホ、短気は損気、マアマア静まれ」と挑発した挙げ句、白煙と化し、窓の外から飛び去って姿を隠してしまいました。

刀で斬り殺そうとするなんて、三五教の宣伝使としてあるまじき行為です。そんなやり方をしたので、逃げられてしまったのです。〔第16巻第14章「鵜呑鷹」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1614

このように霊界物語には、「言向け和す」の成功例だけでなく、失敗例も多数出て来るのです。


次に紹介するのは、「言向け和す」に失敗した、というわけではないのですが、「言向け和す」ではない方法で、副守護神を帰順させた例です。

それは第7巻第20章「副守飛出」に出て来ます。
前回、副守護神を言向け和すのだ、ということを書きましたが、この章では、副守護神が「焼け石」(焼けた石)となって口から飛び出すというシーンが描かれています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0720

舞台は竜宮島(オーストラリア大陸)の「酒(クシ)の滝壷」です。
登場人物は宣伝使の日の出神(ひのでのかみ)と、その弟子の田依彦(たよりひこ)、そして酒好きの時彦(ときひこ)と芳彦(よしひこ)の四人です。

酒の滝壷にはお酒がまるで温泉のように自然に湧き出ています。
酒好きの人にはまるで極楽のような場所ですね (^_^;)
しかし日の出神と田依彦は、二人の酒好きを改めさせるためここに連れて来たのです。

田依彦は「酒を呑みたい呑みたいという副守護神の魂(たま)を綺麗サッパリお供えせい」と言います。

二人は「いつも酒を見るとクウクウと言ってヘソの下あたりから上がって来(き)よる、あの魂(たま)が副守護神と言うのか?」

「そうだ。その副守の魂(たま)が酒を喰らってお前の魂や体をヤワにするのだ。綺麗サッパリお供えしてしまえ」
と言うと、日の出神と田依彦は、酒豪の二人を後ろ手に縛り上げてしまいました。

そして田依彦は大きな柄杓で滝壺から酒を汲み上げると、二人の口先に代わる代わるに突きつけ・・・縛られている二人は舌を出してその酒を呑もうとしますが・・・「そうはいかぬ」と言って柄杓をサッと引っ込めてしまいます。

そしてまた柄杓を前に出し・・・二人は呑もうと舌を出し・・・柄杓がサッと後ろに引っ込み・・・また柄杓が前に出て・・・舌を出し・・・柄杓が引っ込み・・・そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに、やがて二人の喉から卵のような焼け石が何個か飛び出してきて、滝壺の中に「ジュン」と音を立てて落ち込みました。

すると二人とも「もう酒の匂いを嗅ぐのも嫌になったよ。俺は酒は嫌いだ、嫌い」と首を振ります。

こうして二人の酒好きは治ったのです。
酒好きの人には耳の痛い話ですね (^_^;)

ここでは副守護神が「焼け石」という形で表現されています。
酒を鼻先に近づけて欲望(執着)をそそり、それで焼け石(副守)を外に吐き出させたわけです。

同じ巻の第45章「酒魂」でも似たようなシーンが描かれており、そちらでは蚊取別(かとりわけ)が口から三個の焼け石を吐き出して、酒好きが治っています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0745

このやり方は少々手荒ですね。「言向け和す」とは言い難いですが、結果として執着心が解消され、副守護神が鎮定されています。
このような方法を何と呼べばいいでしょうか。

このような現象は現実にもたしかにあります。
欲望をどんなにつのらせ執着してもそれが叶うことが出来ない場合に、執着心が消滅する場合があるのです。それは「あきらめ」の境地と言えばいいでしょうか。
金持ちになりたいとどんなに思っても、そう簡単にはなれませんし、好きになった人と付き合いたいと思っても、振られてしまう場合もあります。
欲望が成就できずに、挫折して、あきらめてしまい、その結果、お金が嫌いになったり、恋愛自体に抵抗が生じてしまったりする場合があります。
そういうことで「酒嫌い」になったのではないかと思います。

怒りを他人にぶつける場合もそうです。
どんなに厳しく言っても、怒鳴っても、全然理解せず、応えてくれない人っていますよね。
そういう時、ある程度まで激しく言って、それで言うことをきかなければ、もうバカバカしくなって言うのをやめてしまいます。言っても無駄だからです。
こういうのは「あきらめ」です。
焼け石を吐き出させるエピソードは、執着をあきらめさせる方法の一例を示していたのでしょうか?
それとも、もっと何か、深い密意が籠められているのでしょうか?
よく分かりません。
皆さんも色々考えてみて下さい。

(続く)