言向和(9) 国祖が「言向け和す」を厳命する場面

投稿:2017年07月24日

「言向け和す」は国祖の大神(地上神界の主宰神)と、スサノオの大神(地上現界の主宰神)の御聖旨です。この二神から「言向け和す」が発せられています。

まず国祖が初めて「言向け和す」を命じる場面は、第3巻第43章です。

悪神の八王大神・常世彦が数多の魔軍を引き連れて聖地エルサレムを空襲しました。天の磐船から爆弾を雨あられのように投下して、聖地エルサレムはもはや陥落寸前です。
そこで天使長兼宰相の大八洲彦命は、「天(あめ)の真澄の鏡」と呼ぶ大量破壊兵器を使って敵軍に抗戦しようと、国祖にその兵器の使用許可を求めます。
しかし国祖は怒って、使用を厳禁し、次のように命じるのです。

『汝らは天地の律法をもつて何ゆゑに敵を言向和し悔い改めしめざるや、進退これ谷(きは)まりたりとて、いやしくも天地の律法を制定され、世界を至善の道をもつて教化すべき天使の職掌を拝しながら、敵の暴力に酬(むく)ゆるに暴力をもつて対抗せむとするは、天使長より神聖なる律法を破るものにして、これに過ぎたる罪科は非ざるなり。

あくまでも忍耐に忍耐を重ねて、至誠一貫もつて極悪無道の人物を心底より悔い改めしめ、天則の犯すべからざるを自覚せしむべし。これ善一筋の誠の教(をしへ)なれば、たとへ如何(いか)なる難局に立つとも断じて真澄の玉は使用すべからず。(略)

汝らは神の力を信じ、至誠を天地に一貫し、もつて天津神の御照覧にあづかるをもつて主旨とし、暴悪無道の敵軍に暴力をもつて戦ふを止めよ。
真の神の心は宇宙万有一切を平等に愛護す。
ゆゑに大神の眼よりは一視同仁にして、いたづらに争闘を事とするは神慮に背反するものなり。
断じて武力に訴へなどして解決を急ぐなかれ。何事も天命の然らしむるところにして、惟神の摂理なり。
ただただ汝らは、天使たるの聖職に省みて広く万物を愛し、敵を憎まず、彼らの為すがままに放任せよ』
〔第3巻第43章「配所の月」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0343#a024

この国祖の言葉から、「言向け和す」の精神がどのようなものか、何となく伝わるのではないかと思います。

ですが、暴に対して暴で報いるなという、その気持ちは分かりますが、では一体どうやって、敵の武力攻撃から身を守ればいいのでしょうか?
結局、天使長・大八洲彦命はどうしたらいいのか分からずに、「破軍の剣」と呼ぶ、別の大量破壊兵器を使ってしまい、魔軍を撃退したのです。

国祖の禁止命令を破った大八洲彦命は更迭されてしまいました。
後任の天使長には、女神の高照姫命が任命されます。そこへ再び常世彦の魔軍が攻めて来て・・・高照姫命は国祖の禁を破って、またもや「破軍の剣」を使ってしまい、更迭されてしまうのです。

この時は国祖は次のように厳命を下しています。

『天地の律法を遵奉(じゅんぽう)し決して暴力をもつて戦ふべからず。大慈大悲の親心をもつて敵を言向和はせ、善一つの大道に教へ導くべし』
〔第3巻第44章「可賀天下」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0344#a085

天使長兼宰相という要職にありながら、同じ失敗を繰り返してしまうなんて、ずいぶん間抜けな神々ですが、この国祖神政の時代(第1~4巻)には「言向け和す」ということがよく理解されていなかったようです。
「言向け和す」が真価を発揮するのは、国祖隠退後になります。


スサノオが導く三五教が誕生するのは第6巻ですが、それ以前、第1巻第18章に、スサノオがヤマタオロチを言向け和した、という記述が出て来ます。
またここは、霊界物語で一番最初に「言向け和す」という言葉が出て来るところでもあります。
次の箇所です。

さうかうするうちに、露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した。これがすなはち素盞嗚命の言向和された、かの醜い形の八頭八尾(やつがしらやつを)の大蛇(をろち)の姿をしてゐたのである。
〔第1巻第18章「霊界の情勢」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0118#a085

「素盞嗚命の言向和された」と過去形で書いてありますが、「露国のあたりに天地の邪気が凝りかたまつて悪霊が発生した」のは、それよりももっと過去のことです。その発生した悪霊(八岐大蛇)を、後に素盞嗚命が言向け和すことになるわけです。
話の流れが分からないと、「素盞嗚命の言向和され」てから、「悪霊が発生した」ようにも読めてしまいますので注意が必要です。

ちなみに「素盞嗚命」と書いてあるので「素盞嗚命」が修飾語になっていますが、これは現代の国語だと「素盞嗚命」になります。主語は「素盞嗚命」です。
現代国語辞典(三省堂)によると、

 [1]〈格助〉 (1)連体修飾語をつくる。「川―流れ・わたし―[=が所有する]本・弟―[=である]次郎・ふるさと―[=にある]山・黒山―[=のような]人だかり」 (2)述語が連体形で下につづく場合の主語を示す。「わたし―書いた作文」(以下省略)

「わたし書いた」という言い方は現代ではあまり使いませんね。「わたし書いた」です。
厳密に言うと「書いた作文」の「書いた」という連体形に対して「の」が使われるようです。つまり「言向け和された八頭八尾の大蛇」に対する「の」であって、「素盞嗚命の言向け和された。」という使い方はしないようです。
霊界物語を読むには国語も勉強しなくてはいけないのでなかなかたいへんです。(^_^;

ここで、本筋とは関係ありませんがフォローしておきたい文言があります。
それは「露国のあたりに~悪霊が発生した」とありますが、これはあくまでも太古の地球上の、現在のロシアがあるあたりで悪霊が発生した、という意味であって、ロシアという国が、あるいはロシア人が、悪霊(八岐大蛇)だという意味ではないということです。
世の中には恐ろしく短絡的に物事を捉える人がいて、こういうところを読んで「ロシア人は八岐大蛇だ」みたいに思う人がいるのです。
昔、明治時代の大本信者の中にもそういう人が多数いて、筆先(神示)で「この世は真っ暗がり」と出たからといって、昼間から提灯をぶら下げて歩いたり、「道の真ん中を歩いて下されよ」と筆先で出たからといって、道路の中央を歩いて、向こうから車が来てもどかず、相手が根負けして脇によけて通って行くと「どうだ、思い知ったか、神の力を」と有頂天になるような信者が多々いたそうです。
宗教的センスのない人が読むと、そんなふうに短絡的な解釈になってしまいます。
「露国のあたり」と霊界物語に書いてあるからと言って、それは現代のロシアのことではないのです。
ソ連に樺太や北方四島を取られたり、シベリア抑留された恨みがあるからなのか、ロシア嫌いな人がここを読むと「それみろ、やっぱりロシア人は悪霊の国だ」みたいに思い込む人がいるのです。

また、ここの文章に続けて、次のように書いてあります。

しかるに一方印度においては、極陰性の邪気が凝りかたまつて金毛九尾白面の悪狐(あっこ)が発生した。(略)しかして、また一つの邪気が凝り固まつて鬼(注・六面八臂の邪鬼)の姿をして発生したのは、猶太の土地(注・イスラエルのこと)であつた。

これもまた、インドという国や、インド人が、悪狐なのではないし、イスラエル国や、ユダヤ人が、邪鬼なのではありません。
あくまでも太古の神代の地球上の、そのあたりで発生した、というだけのことですので、取り違いのないようにして下さい。

現代はコンプライアンスが厳しいので、人種差別につながることはフォローしておかないと、人権派にツイッターで糾弾されたり、シバキ隊にシバかれかねませんので、いろいろと細かいフォローがたいへんです。(^_^;

(続く)