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大本開祖・出口ナオの子供たち

Published / by 飯塚弘明
投稿:2018年02月11日

出口ナオ(出口直子)には夫・政五郎との間に3男5女、計8人の子供がいる。

  • 長女/米子(よねこ、大槻米子)/安政3年(1856)~大正4年(1915)59歳/侠客で焼肉屋の大槻鹿造と結婚
  • 二女/琴子(ことこ、栗山琴子)/文久2年(1862)~昭和6年(1931)69歳/栗山庄三郎と結婚
  • 長男/竹造(たけぞう、出口竹造)/文久4年(1864)~昭和7年(1932)68歳/大本は末子の澄子が継ぎ、政五郎の跡は竹造が継いだ。(資料によっては「竹蔵」と書いている場合もある)
  • 三女/久子(ひさこ、福島久子)/明治元年(1868)~昭和21年(1946)78歳/人力車夫をしていた福島寅之助と結婚。亀岡の隣町の八木(やぎ)に住み、王仁三郎に反対する言動をとった。久子は筆先『日の出神諭』を書き、丑年生まれの寅之助は丑寅の金神を名乗った。彼らを信奉するグループは八木派と呼ばれる。
  • 二男/清吉(せいきち、出口清吉)/明治5年(1872)~没年不明/明治25年、二十歳で近衛師団に入隊。日清戦争に出征し、28年台湾で戦死したとの通知が来る。しかし実際には軍事探偵(諜報員)として大陸に派遣されたのではないかという説がある。33年の北清事変(義和団事件)で偉功を立てた「王文泰」が実は清吉で、王仁三郎が入蒙の際に出会った女馬賊・蘿龍(らりょう)は清吉の娘ではないかと言われる。(入蒙記巻末の歌集「蒙古建国」、出口和明『入蒙秘話』を参照)
  • 三男/伝吉(でんきち、大槻伝吉)/明治10年(1877)~昭和14年(1939)62歳/姉の大槻米子・鹿蔵夫妻の養子となる。
  • 四女/龍子(りょうこ)/明治13年(1880)~大正11年(1922)42歳/木下慶太郎と結婚。出口姓を継ぐ。
  • 五女/澄子(すみこ、出口澄子)/明治16年(1883)2月3日~昭和27年(1952)3月31日、69歳/王仁三郎と結婚。大本二代教主。

王仁三郎の兄弟姉妹

Published / by 飯塚弘明
投稿:2018年02月11日

出口王仁三郎(幼名・上田喜三郎)は8人兄弟の長男である。
男5人、女3人。ただし長女(絹子)は4歳で夭折し、五男(久太郎)も生後数十日で夭折したため、資料によっては7人または6人兄弟として扱われる場合がある。
父は上田吉松(よしまつ)、母は世祢(よね)。

  • 長男/喜三郎(王仁三郎)/明治4年(1871年)7月12日生まれ(新8月27日)
  • 二男/由松(よしまつ)/明治7年(1874年)1月4日(旧11月16日)生まれ(『大本年表』)
  • 長女/絹子/「四歳にして帰幽した」(『故郷乃二十八年』)
  • 三男/幸吉(こうきち)/明治12年(1879年)3月15日(旧2月23日)生まれ(『大本年表』)/丹後の沼麻奈為神社の宮司を務める
  • 二女/雪子/明治15年(1882年)3月19日(旧2月1日)生まれ(『大本年表』)/夫は西田元教
  • 四男/政一(小竹玖仁彦)/明治18年(1885年)「秋」の生まれ(『大地の母』第1巻p106)/明治28年に京都市の小竹宗太郎の養子となる(『大地の母』第2巻p106)
  • 五男/久太郎/明治21年(1888年)3月7日(旧1月25日)生まれ(『大本年表』)/「久太郎は出生後数十日にして帰幽した」(『故郷乃二十八年』)
  • 三女/君子/明治24年(1891年)9月22日(旧8月2日)生まれ(『大本年表』)/小西増吉と結婚。

●「王仁には八人の弟妹があって、次を由松・三男が幸吉・四男が政一・五男を久太郎と曰う。久太郎は出生後数十日にして帰幽した。長妹を絹子と云った。是も四歳にして帰幽した。次妹を雪子・末の妹を君子と曰う。残った六人の兄弟は無病健全に、神務に従事して居る。只次弟の由松のみ穴太の片田舎にて、家督相続を為し、農業に従事して居るのである。」(王仁三郎『故郷乃二十八年』)
●『大本七十年史 上』p111に家系図が載っている。
●出口直の子供も8人(男3人女5人)、王仁三郎・澄子の子供も8人いる(男2人女6人、ただし男2人と女1人は夭折したため娘5人として扱われる場合が多い)。
●明治43年(1910年)11月1日、王仁三郎の実弟・幸吉は、王仁三郎の養子となり、王仁三郎が隠居するという形で、上田家を継ぐ。(『大本年表』、『大地の母』第9巻「大逆事件」)