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言向和(31) 自分を虐待した親を許す

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月22日

「罪を許す」ことは、「言向け和す」の重要な要素の一つだということを前回書きました。

霊界物語の中から、罪を許したことで病が治ったというエピソードを一つ紹介します。第20巻第8章「心の鬼」です。

宣伝使の宗彦(むねひこ)が、熊田村のある家を訪れると、そこで原彦という男が病でうなされていました。どうやら何かの霊の祟りのようです。宗彦の弟子の田吾作の顔を見ると、ギャッと叫び声を出して倒れてしまいました。
実は原彦は十数年前に橋の上から突き落として殺した男がおり、それが田吾作だったのです。
原彦は人を殺してしまった罪──心の鬼にずっと責められ苦しみ続けていたのでした。

しかし川に落ちた田吾作は実は死なずに助かっていたのです。
田吾作は「私は決してお前を怨んではおらぬ」と言うと、罪を許された原彦の病は全快しました。(詳しい解説は拙著『超訳霊界物語2』p181~をお読み下さい)

罪を許せば相手は救われ、苦しみから解放されます。
そして自分も救われます。

前回のタクシードライバーの例は、罪を犯した側の例でしたが、今回は、非道い罪を犯された側の例です。


大阪で会社を経営する島田妙子さんという女性が、親に虐待された体験をもとに、「虐待してしまう大人を助けたい」ということで講演活動をしています。
体験を綴った本も出版しており、その中に「言向け和す」の事例を見つけましたので紹介します。

●島田妙子『e love smile ~いい愛の笑顔を~ memory.1』2011年7月、『同 memory.2』2011年9月、いずれも発行:パレード、発売:星雲社
http://www.amazon.co.jp/dp/443415754X
http://www.amazon.co.jp/dp/4434159666

神戸で生まれ育った妙子さんは、兄が二人いる三人きょうだい。四歳のときに母親が離婚して家を出て行き、父親が男手一つで三人の子を育てることになりました。

しかし仕事があるため食事も満足に作ってあげることができず、小学入学前に福祉施設に入れられ親や兄と離ればなれで生活することになります。

半年ほどして父親が十歳年下の若い女性と再婚することになり、新しい家に引っ越して、親子五人の水入らずの生活が始まりました。

 父はものすごくご機嫌で……私はそのニコニコ笑ったご機嫌な父の顔を見ているだけで、『私たちは、ものすごく幸せなんだ!』って感じました。
 継母は今思えば若干二十二歳だったのに、一生懸命妻と母親の役割を果たそうと頑張っていた気がします。〔『同 memory.1』p113〕

二年生のときに継母が妊娠しました。
そしてその頃から継母による虐待が始まるのです。

(略)ものすごいドスンドスンって階段を上がってくる音がして、子ども部屋の戸が開きました。
 継母でした。
 突然、「人が呼んどるのに、何ですぐこーへんのや」と、それは恐ろしい鬼の形相をし、父の使ってるプラスチックの靴ベラで、左の二の腕あたりをものすごち力で叩かれたのです。(略)右手でさすっていると、さすっている手の指あたりを、更に力いっぱい靴ベラで叩いてきた。(略)
「あたしが呼んだら、今度から何があってもすぐ来て! わかった?」
 私は、まだ腕を押さえながら「はい……」とうなずいた。
 すると、「はい違うやろ! ごめんなさいやろ! ごめんなさいて言ってあやまって!」
と。(略)
「叩かれたとか、お父さんに絶対言うたらあかんで! 言うたらまた叩くからな」
と言って部屋を出て、またドスンドスンと大きな足音をたてて階段を下りて行った。〔『同 memory.1』p123~〕

こうして継母は悪魔に変わり、地獄の日々が始まるのです。
一晩中、寝ずに正座させられたり、食事を食べさせなかったり、ときには二階の階段から突き落とされたり…。まったく非道い話です。

二人の兄にも虐待の矛先は向けられ、赤ちゃん(弟)が産まれた後も虐待はやみませんでした。

父親は虐待をずっと知りませんでしたが、あるとき継母が妙子さんをひどくせっかんしたことで発覚。父親は怒りますが継母は「誰が自分で産んだ訳でもないのに人のクソガキ見てやってると思とんねん」と開き直ります。

地獄はここからが本番です。継母は父親がいる前でも堂々と虐待をするようになって行ったのです。
そしてやがて父親も虐待に参加するようになりました。〔『同 memory.1』p214〕

(略)仕事から帰って晩酌している父に継母が、ある事ない事言っては「あの子ら怒って!」と毎晩のように責め立てるので、酔っ払った父は継母の気が収まるように、寝ている私たちをいきなり腹蹴りして起こしては、ボッコボコに殴ってくるのだ。(略)
 私も小兄もいつも父の目をじっと見た。
 叩く瞬間も蹴る瞬間も目をそらさずにじっと見た。
 父は、絶対に私たちの目を見なかった。

父親は継母にすっかりマインドコントロールされている状態です。
あるときは包丁を持って妙子さんを刺し殺そうとしたり、湯船の中に顔を沈めて窒息死させようとしたり、悪魔に取り憑かれているかのような残虐さです。車で児童相談所の前に連れて行かれ「そこに行ってこい」とポイ捨てされたこともありました。〔『同 memory.2』p40〕

中学二年生のとき担任の先生が妙子さんの体のアザを見て虐待に気付き、両親に厳しく注意してくれますが、それで虐待が止むどころではなく、先生にチクったということでますます激化します。

そして、ついに父親が妙子さんの首を絞めて殺そうとしたのです。
預かっていた自治会費40万円を継母が使い込んでしまい、それを妙子さんのせいにされてしまったのでした。

妹を殺そうとする父親に大兄(長兄)が刃向かって行きます。父親は大きなガラスの灰皿で大兄の頭を殴ると、頭が割れて血が噴き出しました。
その惨状を見てようやく父親も継母も我に返りました。〔『同 memory.2』p168〕

この修羅場の後、妙子さんは家を出て学校の先生に保護され、児童相談所に行き、ようやく長い長い虐待生活から解放されることになったのです。

父親と継母は離婚。義弟は継母が引き取りました。
妙子さんは中学校を卒業すると、父と兄たちと東京に引っ越すことになりました。

そのとき妙子さんは、まだ幼い義弟のことが心残りで保育園に会いに行ったのです。

義弟(茂樹)はとても喜んではしゃいでいました。
その後、近くに住む継母の家まで行くと──妙子さんが弟に会いに来たことを知った継母は
「あんたって子は……」
と言って涙を流したのです。

(略)それには私の方がびっくりしたけれど、「茂樹の事、思ってくれてたんや……ありがとう」と言ってまた泣いた。あんなに大嫌いだった継母だったけれど、その涙で私も『やっぱり、悪い魔法をかけられていただけやったんかな』と思った。(略)タクシーの中で「最近寂しくてって仕方ないねん……」と言っていた。
『人って素晴らしい! 人って変われるんだ! やっぱり心から悪い人なんて絶対にいない』そう思えました。〔『同 memory.2』p225~〕

その後、妙子さんも結婚し子どもをもうけます。
いよいよクライマックスです。
少々長いですが重要なところですので引用してみます。

(略)継母は、茂樹が家を出て行ってからは生活が荒んでいた。(略)私も何度もお金の無心をされ(略)結局私も何十回とはきかないほどお金を出してしまった。
 継母が死ぬ前には、借金まみれになっていて家もゴミ屋敷のようになってしまっていたので、自分の力で人生をやり直してほしいと願い、「これで最後やで……」と家の清掃やリフォームをしてあげた。
 家の中が綺麗になった時、「掃除は心の掃除やで……汚いとあかん……」と諭した。
 継母は、初めて「妙ちゃん、本当に子どもの時の事を許して下さい、私の心の中にはあなた達にしたことがいつも残っていて、何をどう頑張ろうと思ってもあかんねん、どうか許してほしい……」と涙ながらに私に言った。
 私は、「あなたこそ、二十二歳でいきなり三人の子どもが現れて大変やったと思うよ。心が病気になってしまっていただけやで。人間、自分を反省して気付いた瞬間からまたスタートやから、一回心の中を空っぽにして、今日から人間らしい生活をしよう」と継母に言いました。
 私は、その時点で継母への恨みも一切捨てました。(略)
 継母は、心から溢れる涙を流したのです。(略)
 それから、一ヶ月後……
 継母は団地の一室で、孤独死をしているところを発見されました……。
『なんて、可哀想な人生だったんだろう……』
 私は、これから本当の幸せも感じてほしかったのに、残念でなりませんでした。〔『同 memory.2』p297~〕

こんなひどい継母をよく許しましたね。
本には凄まじい虐待の数々が書かれています。こんな親だったら、いつまでも憎み続けたっておかしくありません。

しかし妙子さんは、それを許したわけです。
妙子さん自身も3人の子どもを持って、22歳でいきなり3人の子の親となった継母の苦労を感じたのかも知れません。

憎き継母の子(義弟)を、仕返しにイジメ返すというのは……ドラマやマンガなんかには、よくあるパターンだと思います。
しかし妙子さんはそんなことをせずに、逆に心配して会いに行ったのです。
そんな妙子さんの態度に、継母も心が和されたのだと思います。「弟のことを思ってくれたんや。ありがとう」

自分が妙子さんを虐待したから、きっと妙子さんは自分(の子)のことを憎んでいるだろう……と継母は思っていたのではないでしょうか?
敵だと思っていた人が、実は自分のことを心配していてくれた……そんなとき、人の心は和されるようです。

和されたから、「妙ちゃん、子どもの時の事を許して下さい」と罪を詫びることができた。
だから、妙子さんも、継母への恨みを捨てることができた。
お互いに、相手を和し、和され合ったのではないでしょうか。
このままずっと親を恨み続けていたら、継母も妙子さん自身も救われなかったと思います。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章を加筆訂正したものです。
ブログ「言向け和す」2012年10月14日のエントリー 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)