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言向和(25) 戦わずに勝つのが「言向け和す」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月16日

前回、「言向け和す」は戦うための戦陣訓だと書きました。

戦いには勝たなくてはいけません。
しかし、単に勝てばいいというものではありません。

戦って勝つのはふつうです。
戦って負けるのは愚か者です。
戦わずに勝つのが真の勇者です。
戦わずに勝つのが「言向け和す」なのです。

もちろん、勝ち負けにこだわっている間は、本当の「言向け和す」ではないでしょう。
今まで紹介して来た霊界物語のエピソードに現れているように──たとえば第6巻の北光天使や、第12巻の深雪姫のエピソードから分かるように、言向け和した後は、敵も味方もありません。みんな仲間です。友達です。

勝った後、敵を支配するのではありません。
敵を「支配」している以上、いつでも反乱の恐れがあります。常に警戒していなくてはなりません。それでは言向け和したことにはなりません。
仲良くなって仲間になれば、それはもう「支配」ではありません。警戒する必要がありません。それが真の平和です。

   ○   ○   ○

「戦わずして勝つ」というのは孫子の兵法に出て来る言葉として有名ですが、老子も説いています。
心が楽になる老子の言葉」というサイトから一部引用させていただきます。

力ずくの戦いは道に反する

老子の教えの中に「不争」という考え方があります。
これは、読んで字のごとく、「争わない」ということですね。
老子によれば、「不争=争わないこと」「戦わないこと」こそが“徳”。
徳のある人ほど、いたずらに人と争ったりしないものだと言うのです。

その教えを表しているのが、次の言葉です。

「善勝敵者不与」
(善く敵に勝つ者は与にせず)

うまく敵に勝つ者は、敵と戦わない。
さらに、「優れた戦士は怒りを表さないし、猛々しくもない」と説いています。
(略)

人と争って、力ずくで相手を封じ込め、勝利を奪い取ったとしても
その反動は後になって必ず自分に返ってくるものです。
力に任せて傷つけあって“勝ち”を手に入れようとするのは、
「ありのままを大切にする“道”の教えに反している」と老子は戒めています。

不争の極意

「不争の徳」を説いた老子はまた、
次のような言葉で不争の極意を教えています。

「吾不敢為主而為客」
(吾敢えて主とならずして客となる)

自分が中心となって行動しようとせず、「受け身に回れ」と言うのです。
つまり、戦争を避けられない状況に陥ったとしても、
基本的には「不争」のスタンスでいけよ、
自分から攻めたりするなよ、ということ。
あくまでも、「戦わないこと」「争わないこと」が
“徳”であり“道”だと強調していたわけです。

まあ、老子によれば、戦いを治められるのは
“慈悲”の心だけだと言います。
「慈をもって戦えば、勝利し」の言葉からわかるように、
相手を哀れみ、いつくしむことができるほうが勝利を手にするのだというのです。
(略)

百戦百勝するより大事なのは…

老子が説いた「不争」の考え方は、
実は『孫子』の兵法にも共通するものです。

兵法には、「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
という記述があり、これもまた「不争」を教えているのです。
(略)

現代社会でも、賢い人ほど無駄に人と争ったりしないものです。
そんなエネルギーと暇があるなら、他にやるべきことがあるハズです。
「いかにして、戦わずして勝つか」これを極めることができた人だけが
本当の意味で「人の上に立つ」ことを許されるといえるのではないでしょうか。

〔「戦わずして勝つ!」が老子の理想 – 心が楽になる老子の言葉〕
http://www.roushiweb.com/category5/entry47.html

なるほど。
これは王仁三郎が説く「無抵抗主義」と同じようです。
「言向け和す」の別の側面が「無抵抗主義」だと言えるので、老子のこの教えは「言向け和す」だと言ってもいいでしょう。
「慈をもって戦えば勝利し」というのは、まさに三五教の宣伝歌にも出て来そうなフレーズです。

最後の方で「現代社会でも、賢い人ほど無駄に人と争ったりしないものです」とブログ主さんが書いていますが、全くその通りだと思います。
そして、
「「いかにして、戦わずして勝つか」これを極めることができた人だけが本当の意味で「人の上に立つ」ことを許されるといえるのではないでしょうか」
と書いていますが、それを極めた人だけが、真に世界を統一することが出来るのだと思います。

(続く)