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言向和(22) 正義のヒーローに悪を言向け和すことは出来ない

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月13日

以前に「一つ島の深雪姫」のエピソードを紹介しました(第17回参照)。

霊界物語第12巻第22章~24章にそのエピソードが出て来ますが、もう少し後ろの第26章にも、似たようなエピソードが出て来ます。「竹の島の秋月姫」のエピソードです。

深雪姫が鎮まる「瀬戸の海の一つ島」には、アマテラスの二男のアメノホヒ(天菩比)が大軍を率いて上陸しますが、姉の秋月姫(あきづきひめ)が鎮まる「琵琶の湖(うみ)の竹の島」には、アマテラスの三男のアマツヒコネ(天津彦根)の軍が上陸しました。

この時、秋月姫は深雪姫と同じように戦わずに待ち構えました。
そして祝詞を奏上し、宣伝歌を歌い、アマツヒコネの軍を言向け和したのです。

…秋月姫と諸共に手拍子足拍子を揃え、敵味方の区別も忘れて狂うが如く踊り回る。
 この時天上に群がれる黒雲は科戸(しなど)の風に吹き散りて、天日(てんじつ)の光晃々(こうこう)と輝き始め素盞嗚命の疑いは全く晴れ渡った。天津彦根神は喜び勇んで数多の将卒を引き連れ、琵琶の湖(うみ)を渡りて天教山に凱旋せり。
〔第12巻第26章「秋月皎々」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1226#a192

こうしてアマテラスの、弟スサノオに対する疑い──自分が治める天教山(高天原)を侵略しようとしているのでは?という疑いは晴れたのでした。

これは古事記だと「誓約(うけい)」に相当する話です。
霊界物語第12巻は「天の岩戸開き」の物語で、第1篇から4篇までありますが、第3篇は、誓約という形での天の岩戸開きのエピソードが描かれているのです。それがこの「一つ島の深雪姫」と「竹の島の秋月姫」のエピソードです。

ところで、アマテラスが二男と三男に命じて、スサノオ一派を征伐するため軍を出陣させ、それをスサノオ側が言向け和したわけですが、そもそも「世界を言向け和せ」と命じたのはアマテラスではなかったっけ?という疑問が湧いて来ます。

自分で「言向け和しなさい」と命じたクセに、自分でそれが実行できないわけですか??

そうです、その通り。
命じた人が、それを破ってしまったわけです。

霊界物語は、誰かを善一色で染めるようなこともしないし、悪一色で染めるようなこともしません。

神々も過ちを犯す、というのが霊界物語です。

皇祖だからと言って、善一色で染めることはしません。過ちはあるのです。

国祖にしても、自分が制定した律法に違反した・・・ということで悪神から糾弾されて、主宰神の地位を追放されてしまったのです。(第4巻第45章の八王大神が日の大神に宛てた奏問状を参照)

主人公のスサノオにしても、父神イザナギから「大海原(人間界)」を治めよと命じられたのに、うまく統治できずに、職を罷免されてしまったのです。なんともまあ~、情けないですね~。

善神だからと言って、いつでも常に善なのではないのです。

また悪神にしても、いつまでも悪のままではありません。
彼らを言向け和して改心させて、善神へと導くことがスサノオの使命ですし、三種の邪霊(八岐大蛇、悪狐、邪鬼)にしても、やはり言向け和して地球人類にために役立つ存在になってもらうのです。

王仁三郎の善悪観は
世の中には絶対的な善も絶対的な悪も存在しない
というものです。〔水鏡「絶対善と絶対悪」参照〕

「○○だから善のはず」とか「○○は悪のはず」という先入観で霊界物語を読んでいると話が見えなくなります。時には善人に悪事をさせたり、悪党に神の教えを語らせたりするのです。
善人だと思われていた丹波村の平助にも改心が必要であったし(第13回参照)、スサノオの八人乙女は短刀を突きつけて悪党に改心を迫りました(第14回参照)。
「言向け和す」を命じたはずのアマテラスが、武力で弟を征伐しようとしたとしても、それはそれで仕方のないことです。
神々も人間も、過ちを繰り返しながら、成長して行くのです。

   ○   ○   ○

少々難しい言い方をするなら、二元論的な世界・ロゴスの世界から、混沌としたカオスの世界にいったん戻してしまうことが「言向け和す」なのかも知れません。

自分を絶対正義とし、敵を絶対悪とするようなやり方では、言向け和すことは出来ません。
悪党に対して上段から正義の鉄拳を振り下ろすやり方は、悪党を成敗したり、追放したりすることは出来ても、言向け和すことは出来ません。
そういう善悪二元論的な世界から離れたところで、深雪姫や秋月姫は、ホヒやヒコネを言向け和したのです。

身近なケースで考えてみても、そうですね。
自分を正義の使者にしていたら、相手は決して心を改めません。
どんなに正論を説いても、相手の非を責め、正面から斬るようなことをしたら、「そんな言い方しなくてもいいでしょ」「言い方が悪い」とか言われて、逆にこちらが悪者扱いされてしまいます。挙げ句の果てに「そう言うあなたはどうなんすか」と、こちらの欠点も関係ないことまで洗いざらいさらけ出されてしまいます。もう、血みどろの戦争です。

それで、他人に注意をするときも、いろいろな手法が編み出されていて、たとえば親が子を叱る時も、直接叱ったら、親が正義、子が悪という図式になってしまいますので、直接叱るのではなく、自分が親(子から見たら祖父母)から叱られた体験などを持ち出して、間接的に叱る(気づかせる)のです。そうやって自分自身を相対化して、正義の使者ではないようにするのです。

霊界物語でも、宣伝使が自分を正義の使者として振る舞う場合には、たいてい悪党は改心せずに逃げ去っています。
正義のヒーローは悪を退治することは出来ても、悪を言向け和すことは出来ないのです。

霊界物語の最凶悪党・高姫は、一度死んで中有界を彷徨った後、第70巻で「千種の高姫」として再生します。トルマン国の王妃・千草姫(ちぐさひめ)が死んでしまい、その肉体に高姫の精霊が入るという形で再生したのです。そして再び悪事を繰り返すのです。
その高姫が「スガの宮」の宗教問答所を乗っ取って、自分は悪事を一切犯したことはない、欠点が一つもない清く正しい人間ですというようなフリをして、他人の罪を責め立てるのですが、そこへ宣伝使の梅公別が現れて、高姫の悪事の証拠を突きつけます。以前に高姫が殺したはずの二人の男女を、梅公別がこっそり救っていて、その二人を高姫の前に連れて来たのです。
高姫は自分が犯した悪事の動かぬ証拠を突きつけられて、顔面真っ青になり、唇を震わせて、そして空の彼方に姿を隠してしまいました。〔第72巻第22章

こうしてスガの宮には平和が戻ったのですが、高姫は改心せずに逃げたままです。つまり高姫がまた場所を変えて悪事をしでかす可能性があるわけです。
このようなやり方は一時的な、その場しのぎ的なやり方に過ぎません。
それでも、そのようなやり方をせざるを得ない時もあるでしょう。たとえ一時的にせよ、悪党を撃滅しなくてはいけない時はあります。
犯罪者を捕まえて刑務所にぶち込んだり、侵略者のICBMをPAC3で打ち落としたり、それは必要です。
しかしそれでこの世が平和になったわけではありません。一時的な対処に過ぎません。
スサノオの手足となってミロクの世を創るために活動する三五教の宣伝使としては、その程度のことではいけないのです。ということを深雪姫が言っていました。(第17回参照)

この世に正義は必要です。
しかし悪を言向け和すには、正義を正面に振りかざしてはいけないのです。
剣は鞘に納めておかなくてはいけません。
そのことを、深雪姫と秋月姫のエピソードが物語っています。
読めば読むほど、奥の深いエピソードです。

(続く)