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言向和(21) ガンジーも王仁三郎も暴力を否定していない

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月06日

前回書いたように、ガンジーは非暴力を説き、王仁三郎は無抵抗を説きました。
しかし誤解が生じないように書いておきますが、二人とも暴力を否定していません。

ガンジーは、第一次大戦が終わって間もない1920年8月に発表した「剣の教義」と題する論文の中で、暴力闘争を認めています。

 怯儒(きょうだ…臆病で意志が弱いこと)か暴力か、と二者択一を迫られた場合には、私は暴力を勧めるだろう。(略)私は、インドが臆病に構えて不名誉を無力に黙視するよりも、名誉を守るためには暴力に頼るよう希望する。
 しかし、非暴力は暴力に比べると無限に勝れている。寛容は処罰よりも男らしく、兵士を凛々しくする。しかし、節制が寛容たり得るのは、処罰する力のある場合に限る。それが無力な生きものから発している場合には意味がない。鼠は猫に食いちぎられるときに、猫を赦すことはおそらくあるまい。
〔古賀勝郎・訳『今こそ読みたいガンディーの言葉』2011年、朝日新聞出版、P143~144〕

暴力を使うよりも使わない方がいい、ということなのです。無用な殺生を避けようとしたのであって、避けることができない場合には暴力もやむを得ない、という考えではないでしょうか。

日本軍がアジア諸国を侵食し続けていたとき、ガンジーは「すべての日本人への公開状」(1942年7月発表)という文書の中で、もしインドからイギリスが撤退した後に日本軍が侵入して来るのであれば「インドができる全力をあげて必ず抵抗する」と書いています。また、イギリス統治の即時終結と臨時政府の樹立を目指した「インド撤退」決議(1942年8月8日)の中では、「その政府のまず第一の任務は、連合国とともに、その支配下にある非暴力的勢力はもちろんのこと、そのいっさいの武力をあげてインドを防禦し、侵略に抵抗することでなければならない」と述べて、軍事力による国防を肯定しています。〔坂本徳松『ガンジー』1969年、清水書院、P139~140〕

これはガンジーが非暴力を放棄したということでは決してありません。今いるエイリアン(イギリス軍)に対するレジスタンス(抵抗運動)としては、デモ行進・不買運動といった非暴力による抵抗手段を思いついたのでそれを実行したのだが、これからやってくるエイリアン(日本軍)に対しては有効な非暴力手段が思いつかないので武力による撃退をやむなく選択した、ということではないでしょうか。

実際に抵抗運動の現場に身を置いて考えてみると理解しやすいと思います。実際問題として暴力闘争を行ってしまうとメンバーは警察に逮捕され、権力に運動弾圧の口実を与えてしまいます。暴力闘争だとすぐ潰されてしまうのです。重武装して挑めばすぐには潰れませんが、しかし内戦状態となり国は破滅へ向かいます。また民衆の指導者としては、民衆が納得する方針を示さなくてはいけません。多大な犠牲を払って非暴力運動でエイリアンを追い出したのに、非暴力のままだと新しいエイリアンによる侵略を易々と許してしまいます。それを民衆が納得するかどうか疑問です。理想だけ掲げていても民衆はついて来ません。有効な手段を提示する必要があります。
ガンジーは社会運動の現場の中で、非暴力闘争か暴力闘争かを選択して来たのであって、平和な日本で頭の中で考えているだけでは、理解は難しいかも知れません。

非暴力闘争か暴力闘争かは時と場合によりけり、ということです。『そりゃ当たり前だろう』と現代人は思うかも知れませんが、非暴力闘争の道を開いたということはとてもすごいことです。それまでは暴力闘争しかなかったのですから。


日本古伝の「言向け和す」の精神を再興し、真の「無抵抗」主義を唱えた出口王仁三郎も、一切の暴力を否定したわけではありません。対外的戦備(要するに軍隊)は廃止しても警察的武備は必要だという考えです。(「世界を統一する「奥の大勢力」とは?」参照)

もちろんその警察の武力にしても、より穏健な手段の方がいいのは当然です。拳銃ぶっ放すよりスタンガンの方がマシだし、犯人を殺すより生け捕りにした方がいいに決まっています。

暴力を振るうか、振るわないか、という二元論ではなく、暴力度というパーセンテージで考えた方がいいと思います。

■宣伝使の「霊縛」と「五色の霊光」

霊界物語で、三五教の宣伝使は、悪党の攻撃に対して正当防衛は許されています。その暴力度は極限まで0%に近い形で行使します。
霊能力で相手の体を動けなくしてしまうのです。「霊縛(れいばく)」と呼びます。

日出神(ひのでのかみ)『さあ飲ましてあげましょう』と云いながら、蚊取別(かとりわけ)の身体に霊縛を施した。蚊取別は首から下は、材木のように堅くなりぬ。〔第7巻第45章〕

(宣伝使・青彦がバラモン軍の兵士5人に対し)『ウン』と霊縛を加えたるに、五人は足を踏ン張ったまま、化石のようになってしまい、目を剥き、舌をニョロニョロと出し、涙を滝の如く流してふるえいる。〔第17巻第11章〕

…見れば四人(注・高姫の一派)とも腰部以下はビクとも動かないように霊縛されていた。求道居士(注・宣伝使)はたちまち、呪文を称え、天の数歌を奏上し、四人の霊縛を解いた。〔第56巻第8章〕

身体の自由を奪ってしまうのですから、一種の暴力に違いありませんが、しかし拘束するだけです。それ以上痛い目には遇わせません。暴力度は極めて低いと言えます。

もう少し暴力度の高いやり方もあります。指の先から霊光を発射し、悪党に照射することで、その身体から悪霊を追い払ったり、身体自体を宙で動かしたりしてしまうのです。

宣伝使(注・淤縢山津見)は双手を組み、一二三四五六七八九十百千万の神嘉言(かむよごと)(注・ここでは天の数歌のこと)を奏上し終わって、左右の手を組みたるまま食指(ひとさしゆび)の指頭(しとう)より霊光を発しつつ、荒熊の全身を照らしたり。荒熊はたちまち身体動揺し始め前後左右に荒れ狂い、キャッと一声大地に倒れたるその刹那、今まで憑依せる悪霊は、拭うが如く彼が身体より脱出したり。宣伝使は『赦す』と一声呼ばわると共に荒熊は元の身体に復し、心中英気に満ち顔の色さえにわかに華やかになり来たりぬ。〔第8巻第19章

(宣伝使の玉治別は)直ちに天津祝詞を口早に奏上し、天の数歌を謡いあげ、ウンと一声指頭を突き出し、五色の霊光を発射して大蛇(おろち)に放射した。大蛇はたちまちパラパラと解けてその場に材木を倒したようにフン伸びてしまった。〔第24巻第15章

(宣伝使の加米彦、青彦は)『(略)吾が言霊の神力を見よ』と言うより早く双手(もろて)を組み一生懸命に神霊の注射をサーチライトの如く指頭より発射し、右に左に向かって振り回せば、数多の寄せ手はにわかに頭痛み、眩暈(めま)い、舌つり、身体あるいは強直し、あるいは痳痺し、ウンウンと呻り声を立ててこの場にバタリと倒れたり。〔第17巻第6章

最後の事例は正当防衛の範疇を超えているようにも思いますが、まだ新米の宣伝使なので、仕方ないですね。(^_^;

■合気道

王仁三郎の「無抵抗主義」を武道に応用した合気道の場合は、この宣伝使の業(わざ)とはちょっと異なるのかなと思います。
合気道の場合は、相手の力を利用するわけです。それはつまり、相手が攻撃しようという気がなければ、こちらも何もしないのです。だから柔道やボクシングのような「試合」は存在しません。お互いに戦う気がないのなら、ただジッと立ったまんまです。
しかしそれじゃ稽古にもならないので、仮に片方が攻撃するわけです。それが「演武」です。

合気道のおもしろいのは、相手を攻撃しようという気持ちが、自分自身を投げ飛ばしてしまう、ということです。
まさに「自業自得」ですね。

合気道の場合はそれでいいのですが、宣伝使としては、投げ飛ばすのではなく、その動き自体を止める方が、暴力度が小さくて、モアベターだと思います。
それが霊縛です。
もちろん、そういう業が実際に使えるなら、の話ですが。

■宣伝使の従軍

宣伝使が軍に従軍する場面も出て来ます。軍備に反対しておきながら、従軍とは何事かと首を傾げる人もいるでしょうが、セリフの中でちゃんとフォローされています。

トルマン国がバラモン軍の侵略から国を守るために義勇軍を結成した時、宣伝使の照国別(てるくにわけ)がそれに従軍すると申し出ました。それに対して弟子の梅公が考え直して下さいと注進します。

梅公『ア、先生、よくお考えなさいませ。善言美詞の言霊を以て、あらゆる万民を言向和す無抵抗主義の三五教ではございませぬか。殺伐なる軍隊に参加し、砲煙弾雨(ほうえんだんう)の中に馳駆(ちく)するのは決して宣伝使の本分じゃございますまい。三五教は決して軍国主義ではございませぬよ』
照国『ハヽヽヽヽ、吾々はお前の言う通り、決して敵を憎まない。また殺伐な人為的戦争はやりたくない。義勇軍に参加しようというのは傷病者を救い、敵味方の区別なく誠の道を説き諭し、平和に解決し、このトルマン国は申すに及ばず、印度七千余国の国民を神の慈恩に浴せしむるためだ。その第一歩として従軍を願っているのだ』
第66巻第5章「愁雲退散」〕

将兵としてではなく、あくまでも宗教家として、従軍するわけです。

この巻を書いたのは大正13年12月ですが、その年の2~7月に王仁三郎は入蒙して、1000人前後の現地の馬賊(民兵)を率いて行軍していますが、その時も、王仁三郎は銃器を持っていたわけではありません。馬賊は武装していましたが、王仁三郎自身はあくまでも宗教家として武器を持たずにいたのです。

この巻の序文には次のように書いてあります。

本巻よりは照国別のいよいよ活動となり、やや軍事的趣味を帯ぶることとなりました。無抵抗主義の三五教が軍事に関する行動を執るのは、少しく矛盾のように考える人もあろうかと思いますが、混沌たる社会においては、ある場合には武力を用うるの止むなき場合もあります。三千世界の父母ともいうべき阿弥陀如来でさえも、慈悲を以て本体としながら、右の手にて折伏(しゃくぶく)の剣をもち、左手には摂受(せっじゅ)の玉を抱えて、衆生済度の本願を達せんとしているのです。回々教の教祖マホメットも右手に剣を持ち、左手に経典を抱えて、アラビヤ広原に精神的王国を建設した事を思えば、人智未開の時代においては、三五教の宣伝使といえども軍事に関係せない訳には行かないでしょう。読者はこの間の消息を推知して神の意の在る所を諒解せられん事を希望します。
第66巻序文

現代でもまだまだ武力を行使しなくてはいけないシーンは多々あります。仕方がないです。軍隊を廃止したら、悪党の思うつぼです。
だからといって、「仕方がない」「仕方がない」では、人類はいつまでも経っても進歩しません。
ミロクの世、つまり世界の統一へ向けて進めて行かなくてはいけません。

前述したように、王仁三郎は「対外的戦備(軍隊)」の廃止を訴えましたが、しかし今すぐ軍隊を廃止しようという、短絡的なことではありません。
世界政府を樹立して、世界権力の統制下に各国の軍隊を置くことで、軍隊を「警察的武備」つまり警察的役割へと変化させて行くのです。世界政府の下で世界警察軍がテロや海賊を取り締まって行くのです。
そのチャンスが、第二次大戦直後に訪れました。
世界連邦運動です。

■世界連邦運動

世界連邦というのは国際連合よりももっと強力な超国家機関の構想です。1946年10月にルクセンブルクに世界中から科学者や文化人たちが集まって世界連邦運動がスタートしました。アインシュタインやシュバイツァー、湯川秀樹など多数のノーベル賞受賞者が賛同しています。原爆に代表されるように、科学の発達が戦争の惨事を悪化させたことに対する反省から生まれているのです。

翌1947年8月には「モントルー宣言」という世界連邦の六つの原則が発表されました。

1)全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる。
2)世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
3)世界連邦法は「国家」に対してではなく、一人一人の「個人」を対象として適用される。
4)各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。
5)原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
6)世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。
〔参考資料 世界連邦運動協会 http://www.wfmjapan.org/

テロや海賊を、各国の主権の発動(つまり各国の政治的思惑)によって武力攻撃するのではなく、世界法に基づいて世界警察が取り締まって行くわけです。

これは王仁三郎が提唱した方向線上にあります。ですから王仁三郎の昇天後、活動を継承した妻の出口澄子(大本の二代教主)は、世界連邦運動を積極的に推進しました。大本の発祥地である京都府綾部市は、世界連邦都市宣言を日本で一番最初に行なっています(1950年10月)。

ところが米ソ冷戦の時代が始まって、世界連邦運動はなかなかパッとしない展開になったようです。

しかし時代は変わりました。
インターネットが普及し、グローバル化が進んだ21世紀の現代において、世界政府の必要性はますます高まっています。
領土の紛争で軍拡競争するのはもう愚の骨頂です。百年前から何の進歩もしていません。
世界政府の樹立は、世界統一の使命を担う日本人の覚醒が必要です。
世界統一にコミットする人が増えることを期待します。

(続く)

(このエントリーは電子書籍『言向け和す』収録の文章の一部に加筆訂正したものです)