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言向和(33) DJポリス─群衆を言向け和す警察官

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月24日

前回は、もっとも「言向け和す」が必要とされる職業の一つ、クレーム対応係の例を紹介しましたが、今回は、もっとも「言向け和す」とほど遠い職業の一つ、警察官の例です。

警察と言えば「国営暴力団」と揶揄されるように、合法的な暴力行使を道具とする職業ですが、治安を維持する方法として、暴力以外の方法もあるんだというエピソードを紹介します。

2013年6月4日、さいたまスタジアムでFIFAワールドカップのアジア予選大会が開催されました。
日本対オーストラリアの戦いです。
この試合で負けなければ、翌2014年夏にブラジルで開かれるワールドカップの出場権を手にすることができる大切な試合です。

この日、東京・渋谷駅周辺では警視庁が数百人の警察官を動員し厳戒な警備態勢を敷きました。
サッカーのサポーターによる混乱を防止するためです。

勝っても負けても、サポーターの中には暴れる人がいます。
過去にはW杯予選後に何千人もの若者が押し寄せて、信号機によじ登ったり、辺りの看板を破壊したりするサポーターがいました。

渋谷駅前のスクランブル交差点は歩行者の通行量が多いことで世界的に有名で、1日に何と十万人以上も通行します。昼間だと多いときには30分間で4万5千人も通行するという、オバケ交差点です。

さて、試合の結果は引き分けでしたが、見事W杯出場が決まりました。
狂喜したサポーターたちが渋谷駅周辺に数千人詰めかけて、「ニッポン」コールや、お互いに手の平を出してハイタッチを繰り返し、駅前のスクランブル交差点は大混雑しました。

このとき、機動隊員が指揮車(ランドクルーザーのような四駆を改造した車輌)の上で、拡声器を使って次のように叫んだのです。

「こんな良き日に怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いて下さい」

「皆さんは12番目の選手。日本代表のようなチームワークでゆっくり進んでください。怪我をしては、W杯出場も後味の悪いものになってしまいます」

「怖い顔をしたお巡りさんは、皆さんが憎くてやっているわけではありません。心ではW杯出場を喜んでいるんです」

「おうちに帰るまでが応援です」

「お巡りさんのイエローカードが出る前に交差点を渡りましょう」

こんなふうにユーモア混じりに呼びかける機動隊員に対して、路上にいた人々から笑いや歓声が沸き上がり、「お巡りさん」コールも一部で起きました。
するとこの隊員は、

「声援も嬉しいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方が嬉しいです」

と返したのです。
そしてこの日、渋谷駅前では一人の逮捕者も負傷者も出ずに、大きなトラブルは起きませんでした。

指揮車の上でマイクを握るこの機動隊員の様子は通行人によって撮影され、その動画がたちまちインターネットに流れて話題となりました。
そして誰が名付けたのか、いつしか「DJポリス」(DJとはディスクジョッキー)と呼ばれるようになったのです。
(ユーチューブ等の動画サイトで検索するとDJポリスの動画がたくさん出てきます)

警察というと、高圧的に力で押さえつけるイメージですが、こういうやり方もあるんですね。
銃器や警棒によらずとも、騒然としている群衆を鎮圧できたわけです。
なかなか知恵を絞りましたね。

この機動隊員は警視庁第九機動隊に所属する二十代の「広報係」で、数人しかいない「広報技能検定」の「上級」合格者でした。
彼には後日、警視総監賞が贈られました。受賞理由は「現場の状況と空気を読んだ巧みな話術がサポーターらの心を捉え、理解と協力を得られた。結果的に負傷者、逮捕者を出さないことに貢献した」ということです。

皆さん、道を歩いていて赤信号を無視して渡ったり、自転車で二人乗りをしているのをパトカーに見つかって、「やめなさい!」と嫌みったらしい声で注意されたり、そういう場面を見かけたりしたことはありませんか?
ああいうかんじで、狂喜しているサポーターたちに「早く交差点を渡りなさい!」と注意したら、せっかく喜んでいるのに水を差されるのですから、たぶん憮然とするでしょうね。
そしてそういう怒りが群集心理によって拡大され、やがて暴動へと発展する可能性もあるわけです。

上から目線で押さえつけるのではなく、「私たちはチームメートです」と、彼らと同じ位置に立って、喜びを分かち合い、そして「~こうしてくれたら嬉しいです」とお願いする。
威圧的に命令されたら、人の気持ちは凝り固まってしまいますが、こんなふうに喜びを分かち合ってくれるのなら、とても和されますよね。

これは治安維持における「言向け和す」の実例です。暴力で押さえつけなくても、治安を維持する方法があるわけです。
こういうことを探求して行けば、とても素晴らしい「和」の社会を築くことができると思いませんか?

しかし、この方法には条件があります。これは本来威圧的で怖いはずの警察官だから、あのようなユーモラスで市民と対等の目線に立ったDJが効果があったのではないかと思います。いざとなれば拳銃を撃って逮捕することができるわけです。そういう怖さとのギャップが緊張感を和したのだという見方もできます。

もし警察官ではなく、区役所のオジサンが黒い腕カバーして事務的口調で「私たちはチームメイトです」とつぶやいたとしたらどうでしょうか? 「おまえなんかと仲間じゃねーよ」とバカにされるかも知れませんね。それで五時になったらさっさと帰ってしまうようではなおさらです(笑)
では、区役所のオジサンが市民に愛される「DJ役人」になるためにはどうしたらいいでしょうか?
いろいろと研究の余地がありそうです。

   ○   ○   ○

この「DJポリス」は他県の警察へも広がりました。
女性のDJポリスも存在しますが、女性警官だとあまり「怖い」というイメージがないので、路上の群衆にはラジオのDJガールやデパートの受付嬢と同じようにしか聞こえず、指示に従おうという気持ちが起きにくいかも知れません。
威嚇したら反感を持たれますが、なめられない程度に怖くしておかないと「DJポリス」の効果はなかなか発揮しにくいのではないかと思います。

京都の女性DJポリスがデビューしたというニュースが京都新聞サイトで報道されていました。そこから一部引用してみます。

京都新聞 2014年12月29日
「京都版「女性DJポリス」、大晦日デビュー 八坂神社で雑踏警備」
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20141229000082(リンク切れ)

 軽妙な話術で雑踏警備の誘導にあたる「DJポリス」の訓練を受けた京都府警の女性警察官が、31日に京都市東山区の八坂神社である「おけら詣(まい)り」の警備に登場する。京都を感じさせる言葉や表現で参拝者に安全を呼び掛け、年末の混乱回避を目指す。(略)
 31日を前に上京区の府警中立売庁舎で行われた事前訓練では、群衆を誘導する指揮官車に上り、「おけら灯籠は逃げることはありません。ゆっくりとお進みください」「ぎゅっと押しておいしくなるのは千枚漬けやお漬物だけ。人は押してはいけません」などと、ユーモアを交えて呼び掛けた。

おけら詣りというのは元日の早朝五時から行われる、一年の無病息災を祈るご神事です。元日も含めて正月三が日で百万人もの参拝者が八坂神社には訪れます。
雑踏ではなかなか前に進めずイライラがつのりますね。そういうストレス、緊張感をユーモアで緩和してくれるなら、落ち着いてゆっくり歩く気になることでしょう。

次回はそういう緊張をユーモアで和す例です。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年11月14日号 及び 2015年3月22日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(32) クレーム対応─相手の気持ちに共鳴する

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月23日

日常生活での人間関係だけではなく、仕事における人間関係でも「言向け和す」は大切です。

たとえば企業で顧客のクレーム対応をするお客様係。
商品が壊れてたり、動かなかったりして、お客さんは電話をかけて来ます。怒っているので、たいていはケンカ腰で電話して来るのではないでしょうか? だから通常では言わないような汚い言葉で罵ったり、人格を非難するような言葉を吐くことも多いことでしょう。
「お前バカか!何度言ったら分かるんだ!」
「女じゃダメだ!上司を出せ!」
しかしどんなに罵声を浴びせられても、お客さんに対して罵声を返してはいけません。ますます客は怒り出して収拾がつかなくなります。

1999年に、ある大手電器メーカーのクレーム対応が悪くてネット上で大騒動になった事件がありました。
量販店でそのメーカーのビデオデッキを購入した男性が、製品に不具合があって修理に出したところ、男性の許可を取らずに勝手に改造され、その上、購入店 → メーカーのサービスマン → メーカー本社 と担当者が次々と変わってタライ回しにされた挙げ句に、メーカーの担当者が男性に、
「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうの、お客さんはね、クレーマーっちゅうの」
と暴言を吐いたのです。

男性はその会話を録音していて、インターネット上でそれを公開しました。
するとそれを見た人が問題視してネット上で騒ぎ出し、怒ったメーカーが男性に録音データ公開の差し止めを求めて裁判所に仮処分を申請。
そして大手マスコミがそれを報道して大騒動となり、怒ったネットユーザーたちによる不買運動へと発展してしまったのです。

クレーム担当者の対応が悪いと、企業全体の存亡の危機にもなりかねません。
しかし、もしお客さんを言向け和すことが出来たなら……逆に顧客満足度が上がり、お客さんにとっても企業にとってもハッピーな関係になるのです。

インターネットで調べると、クレーム対応の心得やノウハウを書いた本がたくさん出ています。
その中から、中村友妃子さんの著書『あなたが担当でよかった! ─クレームが感謝に変わる最強の心理学』(2004年、青春出版社)の「はじめに」から引用してみます。
大手企業で長年クレーム対応業務に携わり、その後独立して苦情対応研修の会社を経営されている方です。

「……ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
 なんとか、相手に聞こえる程度の声で最後のあいさつをした。相手が受話器を置く音を確認して、ゆっくりと私も受話器を置いた。
 受話器を持っていた左のひじが、伸ばせないほど固まっている。指先はしびれている。
 受話器を当てていた左耳が熱い。そんなことよりも、もうすぐ涙があふれる。
 ふりしぼって、やっと出た最後の声は、気をゆるめるととっくに泣き声になっていた。
 急いでトイレにかけこみ、鳴咽をこらえて泣いた。五分ほどそうしているとすっきりする。
 そして、次の瞬間には爽快な気分になる。
 ──お客様対応業務の中で、そんなことが何度となくありました。
 あれほどカンカンだったお客様のお怒りが、だんだんやわらいできて、最後には、
「自分が言いすぎた」
と言ってくれた嬉しさ、感謝と感動と達成感。それが涙の理由でした。さらには、
「自分もあの電話では興奮しすぎました、ごめんなさいね。仕事頑張ってください」
など、わざわざお客様からお手紙をいただくようになり、その手紙をデスクで一読し、おもむろに引き出しにしまい、嬉しくて席を立つということもしばしばありました。
 こうしてお客様と分かり合えた瞬間の感動が忘れられず、いつのまにかお客様対応の仕事から離れられなくなっていました。

なるほど。すごいですね。
これこそ「言向け和す」です。
客も担当者も、両方がハッピーになれるのです。
この後も読んでみましょう。

 でも、そういう感動的な体験にめぐり合うまでには、その何倍も、苦労やつらい経験をしなければならないのがこの仕事の摂理でもあります。
 乱暴な言葉や大声を浴びせられる恐ろしさ、お客様の陰鬱な口調からふくらむ不安、出口の見えない迷走する会話、心を引きずって出かけた相対交渉(お客様と直接お会いしてお話しすること)など、苦しかったり、腹立たしかったり、さまざまな経験をしました。
 そのたびに、この仕事から逃避したいという思いにかられたものです。でも、心が「疲れた」と音を上げる寸前に、タイミング良く、お客様との感動的な結末を体験できたことが、私をクレーム対応業務を主とする会社をつくるまでにしてくれたと思います。(中略)
 お客様はそれぞれが、お客様独自の「心の事情」を抱えています。そこに気づき、応えることがクレーム対応の本旨だと、今になると思えてなりません。そうすることによって、「企業対消費者」ではなく、「人と人」という関係になっていくことができます。
 そこから、お客様から見れば、「この人が担当でいてくれてよかった」と思えるような対応になるのだと思います。

この「心の事情」というものはどういうものかというと、たとえば「孫の誕生日に贈ったケーキのネームプレートの名前が間違っている!」と怒ってクレームの電話をかけてきた女性がいたとします。その女性が一番言いたいことは「孫に嫌われ、息子夫婦の前で恥をかいた!」という切なさであり、そこに気づかなければ解決しないというのです。

名前が間違っていることに怒っているのではなく、そのことで孫に嫌われたり恥をかいたりした切なさ、悔しさ、寂しさ、そういう気持ちに共鳴してこそ、「この担当者は自分を分かってくれた」と思ってもらえるのでしょう。

罪を謝るというのは、「罪を謝る」のではなく、被害を受けた人の気持ちに「共鳴(共感)」することなのかも知れません。
そもそも窓口の担当者は、自分が悪いわけではないので(製造や営業、あるいは経営の問題だったりするので)本心から謝ることなんてできないでしょう。あくまでも会社の業務として謝るだけです。
しかしお客様の気持ちに共鳴することならできると思います。

   ○   ○   ○

相手の気持ちに共鳴できずに人間関係がおかしくなってしまうことは、よくあるのではないでしょうか?
特に家族など、身近にいる人は「自分の気持ちを分かってくれるはずだ」「分かって欲しい」という期待感があるので、その期待が外れると悲しさは層一層高まり、人間関係に深い溝を作ることになります。

テレビドラマで次のようなシチュエーションをときどき見かけます。
──子どもがグレて父親に反抗した。「お父さんは何にもしてくれない」と凄い憎しみの目を睨みつける。仕事一筋で家庭を顧みない父親は「お前の欲しいものは何でも買ってあげたのに、何で逆らうんだ?」と子どもの気持ちが理解できない。子どもは「お金の問題じゃないよ。もっとお父さんと一緒に居たかったんだ」と心の奥底にしまっていた声を叫んだ──。

これはドラマの中だけではなく、実際の家庭にも起き得ることです。
この子どもの気持ちに共鳴しなくては、謝ろうと何しようと子どもは許してくれないことでしょう。

ですが父親にも当然事情があります。家族のために一生懸命働いているのです。決して子どもを無視しているわけではありません。残業や休日出勤を断って、子どもと一緒にいる時間を作る、ということができない大人の事情があるのです。
つまり自分が悪いわけではないので、「自分が悪かった」なんて思うことはないでしょう。

しかし、子どもの「お父さんと一緒に居られなくて寂しい」という気持ちに共鳴することなら、できるのではないでしょうか?

子どもが本当に伝えたいことは「一緒に居て欲しい」ということではなくて、「一緒に居られなくて淋しい、悲しい、心細い」という気持ちなのです。その気持ちに共鳴して欲しいのです。お父さんは忙しくて一緒に居ることができないということは、話せば分かります。理性で理解できます。しかし感情が叫ぶのです、「淋しい」と。その感情の響きに共鳴(共感)して、二人が打ち解け合って心が一つになることが、「一緒に居る」ことなのではないでしょうか?

和合するというのも、罪を許すというのも、みな同じことではないかと思います。一つになった世界、それが「言向け和す」が目指す世界なのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2015年3月19日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(31) 自分を虐待した親を許す

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月22日

「罪を許す」ことは、「言向け和す」の重要な要素の一つだということを前回書きました。

霊界物語の中から、罪を許したことで病が治ったというエピソードを一つ紹介します。第20巻第8章「心の鬼」です。

宣伝使の宗彦(むねひこ)が、熊田村のある家を訪れると、そこで原彦という男が病でうなされていました。どうやら何かの霊の祟りのようです。宗彦の弟子の田吾作の顔を見ると、ギャッと叫び声を出して倒れてしまいました。
実は原彦は十数年前に橋の上から突き落として殺した男がおり、それが田吾作だったのです。
原彦は人を殺してしまった罪──心の鬼にずっと責められ苦しみ続けていたのでした。

しかし川に落ちた田吾作は実は死なずに助かっていたのです。
田吾作は「私は決してお前を怨んではおらぬ」と言うと、罪を許された原彦の病は全快しました。(詳しい解説は拙著『超訳霊界物語2』p181~をお読み下さい)

罪を許せば相手は救われ、苦しみから解放されます。
そして自分も救われます。

前回のタクシードライバーの例は、罪を犯した側の例でしたが、今回は、非道い罪を犯された側の例です。


大阪で会社を経営する島田妙子さんという女性が、親に虐待された体験をもとに、「虐待してしまう大人を助けたい」ということで講演活動をしています。
体験を綴った本も出版しており、その中に「言向け和す」の事例を見つけましたので紹介します。

●島田妙子『e love smile ~いい愛の笑顔を~ memory.1』2011年7月、『同 memory.2』2011年9月、いずれも発行:パレード、発売:星雲社
http://www.amazon.co.jp/dp/443415754X
http://www.amazon.co.jp/dp/4434159666

神戸で生まれ育った妙子さんは、兄が二人いる三人きょうだい。四歳のときに母親が離婚して家を出て行き、父親が男手一つで三人の子を育てることになりました。

しかし仕事があるため食事も満足に作ってあげることができず、小学入学前に福祉施設に入れられ親や兄と離ればなれで生活することになります。

半年ほどして父親が十歳年下の若い女性と再婚することになり、新しい家に引っ越して、親子五人の水入らずの生活が始まりました。

 父はものすごくご機嫌で……私はそのニコニコ笑ったご機嫌な父の顔を見ているだけで、『私たちは、ものすごく幸せなんだ!』って感じました。
 継母は今思えば若干二十二歳だったのに、一生懸命妻と母親の役割を果たそうと頑張っていた気がします。〔『同 memory.1』p113〕

二年生のときに継母が妊娠しました。
そしてその頃から継母による虐待が始まるのです。

(略)ものすごいドスンドスンって階段を上がってくる音がして、子ども部屋の戸が開きました。
 継母でした。
 突然、「人が呼んどるのに、何ですぐこーへんのや」と、それは恐ろしい鬼の形相をし、父の使ってるプラスチックの靴ベラで、左の二の腕あたりをものすごち力で叩かれたのです。(略)右手でさすっていると、さすっている手の指あたりを、更に力いっぱい靴ベラで叩いてきた。(略)
「あたしが呼んだら、今度から何があってもすぐ来て! わかった?」
 私は、まだ腕を押さえながら「はい……」とうなずいた。
 すると、「はい違うやろ! ごめんなさいやろ! ごめんなさいて言ってあやまって!」
と。(略)
「叩かれたとか、お父さんに絶対言うたらあかんで! 言うたらまた叩くからな」
と言って部屋を出て、またドスンドスンと大きな足音をたてて階段を下りて行った。〔『同 memory.1』p123~〕

こうして継母は悪魔に変わり、地獄の日々が始まるのです。
一晩中、寝ずに正座させられたり、食事を食べさせなかったり、ときには二階の階段から突き落とされたり…。まったく非道い話です。

二人の兄にも虐待の矛先は向けられ、赤ちゃん(弟)が産まれた後も虐待はやみませんでした。

父親は虐待をずっと知りませんでしたが、あるとき継母が妙子さんをひどくせっかんしたことで発覚。父親は怒りますが継母は「誰が自分で産んだ訳でもないのに人のクソガキ見てやってると思とんねん」と開き直ります。

地獄はここからが本番です。継母は父親がいる前でも堂々と虐待をするようになって行ったのです。
そしてやがて父親も虐待に参加するようになりました。〔『同 memory.1』p214〕

(略)仕事から帰って晩酌している父に継母が、ある事ない事言っては「あの子ら怒って!」と毎晩のように責め立てるので、酔っ払った父は継母の気が収まるように、寝ている私たちをいきなり腹蹴りして起こしては、ボッコボコに殴ってくるのだ。(略)
 私も小兄もいつも父の目をじっと見た。
 叩く瞬間も蹴る瞬間も目をそらさずにじっと見た。
 父は、絶対に私たちの目を見なかった。

父親は継母にすっかりマインドコントロールされている状態です。
あるときは包丁を持って妙子さんを刺し殺そうとしたり、湯船の中に顔を沈めて窒息死させようとしたり、悪魔に取り憑かれているかのような残虐さです。車で児童相談所の前に連れて行かれ「そこに行ってこい」とポイ捨てされたこともありました。〔『同 memory.2』p40〕

中学二年生のとき担任の先生が妙子さんの体のアザを見て虐待に気付き、両親に厳しく注意してくれますが、それで虐待が止むどころではなく、先生にチクったということでますます激化します。

そして、ついに父親が妙子さんの首を絞めて殺そうとしたのです。
預かっていた自治会費40万円を継母が使い込んでしまい、それを妙子さんのせいにされてしまったのでした。

妹を殺そうとする父親に大兄(長兄)が刃向かって行きます。父親は大きなガラスの灰皿で大兄の頭を殴ると、頭が割れて血が噴き出しました。
その惨状を見てようやく父親も継母も我に返りました。〔『同 memory.2』p168〕

この修羅場の後、妙子さんは家を出て学校の先生に保護され、児童相談所に行き、ようやく長い長い虐待生活から解放されることになったのです。

父親と継母は離婚。義弟は継母が引き取りました。
妙子さんは中学校を卒業すると、父と兄たちと東京に引っ越すことになりました。

そのとき妙子さんは、まだ幼い義弟のことが心残りで保育園に会いに行ったのです。

義弟(茂樹)はとても喜んではしゃいでいました。
その後、近くに住む継母の家まで行くと──妙子さんが弟に会いに来たことを知った継母は
「あんたって子は……」
と言って涙を流したのです。

(略)それには私の方がびっくりしたけれど、「茂樹の事、思ってくれてたんや……ありがとう」と言ってまた泣いた。あんなに大嫌いだった継母だったけれど、その涙で私も『やっぱり、悪い魔法をかけられていただけやったんかな』と思った。(略)タクシーの中で「最近寂しくてって仕方ないねん……」と言っていた。
『人って素晴らしい! 人って変われるんだ! やっぱり心から悪い人なんて絶対にいない』そう思えました。〔『同 memory.2』p225~〕

その後、妙子さんも結婚し子どもをもうけます。
いよいよクライマックスです。
少々長いですが重要なところですので引用してみます。

(略)継母は、茂樹が家を出て行ってからは生活が荒んでいた。(略)私も何度もお金の無心をされ(略)結局私も何十回とはきかないほどお金を出してしまった。
 継母が死ぬ前には、借金まみれになっていて家もゴミ屋敷のようになってしまっていたので、自分の力で人生をやり直してほしいと願い、「これで最後やで……」と家の清掃やリフォームをしてあげた。
 家の中が綺麗になった時、「掃除は心の掃除やで……汚いとあかん……」と諭した。
 継母は、初めて「妙ちゃん、本当に子どもの時の事を許して下さい、私の心の中にはあなた達にしたことがいつも残っていて、何をどう頑張ろうと思ってもあかんねん、どうか許してほしい……」と涙ながらに私に言った。
 私は、「あなたこそ、二十二歳でいきなり三人の子どもが現れて大変やったと思うよ。心が病気になってしまっていただけやで。人間、自分を反省して気付いた瞬間からまたスタートやから、一回心の中を空っぽにして、今日から人間らしい生活をしよう」と継母に言いました。
 私は、その時点で継母への恨みも一切捨てました。(略)
 継母は、心から溢れる涙を流したのです。(略)
 それから、一ヶ月後……
 継母は団地の一室で、孤独死をしているところを発見されました……。
『なんて、可哀想な人生だったんだろう……』
 私は、これから本当の幸せも感じてほしかったのに、残念でなりませんでした。〔『同 memory.2』p297~〕

こんなひどい継母をよく許しましたね。
本には凄まじい虐待の数々が書かれています。こんな親だったら、いつまでも憎み続けたっておかしくありません。

しかし妙子さんは、それを許したわけです。
妙子さん自身も3人の子どもを持って、22歳でいきなり3人の子の親となった継母の苦労を感じたのかも知れません。

憎き継母の子(義弟)を、仕返しにイジメ返すというのは……ドラマやマンガなんかには、よくあるパターンだと思います。
しかし妙子さんはそんなことをせずに、逆に心配して会いに行ったのです。
そんな妙子さんの態度に、継母も心が和されたのだと思います。「弟のことを思ってくれたんや。ありがとう」

自分が妙子さんを虐待したから、きっと妙子さんは自分(の子)のことを憎んでいるだろう……と継母は思っていたのではないでしょうか?
敵だと思っていた人が、実は自分のことを心配していてくれた……そんなとき、人の心は和されるようです。

和されたから、「妙ちゃん、子どもの時の事を許して下さい」と罪を詫びることができた。
だから、妙子さんも、継母への恨みを捨てることができた。
お互いに、相手を和し、和され合ったのではないでしょうか。
このままずっと親を恨み続けていたら、継母も妙子さん自身も救われなかったと思います。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章を加筆訂正したものです。
ブログ「言向け和す」2012年10月14日のエントリー 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(30) 夫に言向け和された妻と、互いに言向け和され合ったドライバーと乗客

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月21日

今回は身近なところでの「言向け和す」の例を紹介します。


デパートで夫に言向け和された妻

A子さんが「小さな話ですが…」と前置きして自分に起きた体験を話してくれました。(この体験談は実話をもとに脚色したフィクションです)

A子さん夫妻がデパートに買い物に行ったときのことです。買い物袋を抱えて夫の後ろをついて歩いていました。すると突然、前を歩いていた夫が立ち止まったのです。

A子さんもとっさに立ち止まりました。するとそのはずみで買い物袋が下に落ちてしまったのです。

袋の中にはオシャレなデザインのお皿が入っていました。拾って中を確かめると、床に落ちた衝撃で割れてしまっています。

A子さんは『あーあ、コイツが急に立ち止まるから割れちゃった』と声には出しませんでしたが心の中で夫を恨みました。

そのとき夫は気がついて振り向くと──「割れちゃったのか? いいよ、ぼくが新しいのを買ってあげるよ」と優しく言ったのです。

このとき彼女は、心が和された感じがしたそうです。そして、自分の心が小さかったことを思い知ったそうです。
旦那さんの大きな愛に包まれて奥さんの気持ちが和されたわけですね。

何やらノロケ話のようにも聞こえますが、言向け和すを考えるのにとてもいいエピソードだと思います。
せっかく買った大切なものが壊れてしまい、A子さんはとても悲しい気持ちになりました。
そういうとき、誰かに当たりたくなります。八つ当たりです。原因を作った夫に対して腹が立ちました。怒りの気持ちが湧き上がったのです。

自分に苦痛を与える存在は「敵」です。敵を排除するために攻撃しようという気持ちが「怒り」とか「憎しみ」です。

ところがこのとき旦那さんは「ぼくが新しいのを買ってあげるよ」と優しく言いました。
これでは敵ではなく「味方」ですね。自分を助けてくれる味方です。今まで敵だと思っていた存在が、実は味方だった……このとき奥さんは「和された気持ちがした」と言うのです。
凝り固まり、緊張した気持ちが一気にほぐれたのですね。
このような感情を「和された」と言うのだと思います

そして彼女は自分の小ささに気づきました。
敵の攻撃から身を守るときは動物でも虫でも身を丸めて小さくしますよね。悲しみや苦しみを抱えているときというのは、人間の心は小さく内に閉じ籠もっているものです。
しかし旦那さんが味方だと分かったことにより、また心が外に向かって解き開かれたのです。愛に包まれた瞬間です。

このケースでは、めでたしめでたしで終わったわけですが、しかしこのとき旦那さんが違う言葉を発していたら、違う展開になっていたことでしょう。

「バカだな-、ちゃんと前を向いて歩けよ」とか、「もったいない。しっかり持ってなきゃダメだろ。無駄遣いしやがって」などと奥さんの非を責めるようなこと言っていたらどうでしょうか?
それはまさに「敵」と呼ぶにふさわしい言葉です。

そうしたら、とたんに奥さんもブチ切れて、その場で口論が始まることでしょう。
「なによ、あなたが悪いんでしょ! 急に立ち止まるから!」
戦争の開始です。
実際に時々見かけます。デパートでバトルをしているカップルを(笑)

人を言向け和すには、その人の味方になって包み込んでしまい、ケンカの気力をなくしてしまうことが大切なようです。


言向け和され合ったタクシードライバーと乗客

次は、タクシーのドライバーBさんの体験談です。(この体験談は実話をもとに脚色したフィクションです)

このときのお客さんはご老人でした。指示された場所で止まり、ドアを開けてお客さん(Cさん)を降ろしました。

ところが確認ミスで、まだ降りている最中にうっかりドアを閉じてしまったのです。

健康な人ならドアが体に当たってもたいしたことはありませんが、小柄で、足腰が弱っている高齢者だったため、ドアが体に当たったはずみで転倒して道路に倒れてしまったのです。

Bさんは慌てて車の外に降り、Cさんを助け起こしました。
「すみません! 大丈夫ですか?」
するとCさんは物凄い形相でBさんを睨みつけ、
「おまえのことは絶対に許さないからな」
と呪いの言葉を吐きました。

『年寄りだからバカにされた』とCさんは感じて、余計に怒り憎しみが込み上げてきたのだと思います。

ドライバーのBさんはすぐに救急車を呼び、Cさんは病院に運ばれました。骨折で全治三ヶ月の重傷です。ドアが閉じたこと自体はたいした衝撃ではなくても、体の弱いお年寄りでしたので、たいへんな怪我になってしまったのです。

もちろんそんな言い訳は通用しません。100%、Bさんの過失です。

Bさんは社内で処分を受け、一年間タクシーの乗務を外されてしまいました。洗車とか書類整理の毎日です。
ドライバーとして入社したのに運転できずに雑用をやらされるのはとても辛いことです。
それに会社としては余剰人員ですから、自発的に退職するように嫌がらせもされ、辛い日々を過ごしました。

その一方でBさんは、自分の親のような年齢のCさんに怪我をさせてしまったことをたいへん申し訳なく思い、毎日のように病院にお見舞いに行きました。病院の食事だけでは飽きるだろうと思い、ときには手作りのお弁当を差し入れとして持って行きました。

Cさんも一人で寂しかったのでしょう。最初は睨むばかりで不機嫌だったCさんも、だんだんと世間話や身の上話もするようになり、お互いに打ち解けて行ったのです。

そして最後にはCさんは、
「早く乗務に復帰するといいね。そうしたらまたあんたの車に乗ってあげるからね」
と言ってくれたそうです。

この言葉でBさんの心は一気に和されました。

これはお互いに和し、和され合ったエピソードだと思います。
初めはBさんを憎んでいたCさんも、毎日のように病院にお見舞いに来るBさんの真摯な態度に和されて行ったのでしょう。
そして、和されたCさんの言葉に、Bさんも和されたのでした。

このように、最高の「和す」は、双方の気持ちが和合することなのではないかと思います。
そして和合した瞬間──どのような気持ちになるでしょうか?
言葉では言い表せない至福を感じるのではないでしょうか?

子どもの頃、家族でトランプか何かゲームをして、そしてみんなで一斉に歓声を上げる瞬間というのがありました。家族みんなの気持ちが一致した時というのは、何とも言えない幸福を感じたものです。
自分を憎んでいたCさんと心が和合できたときのBさんの気持ちは、さぞ至福の想いに満たされたのではないでしょうか。

このケースではBさんが自分のミスを認め、真摯に反省したので和合することができたのですが、ドライバーと言っても色々な人がいますから、中には逆ギレするような人もいるかも知れません。

自分のミスを認めずに、『この爺さんがトロいから自分がとばちりを喰らってしまった』と他人のせいにするような意地の悪い人も世の中にはいることでしょう。
もしそういう人だったら、和解は永遠にやって来ません。それこそ一生恨まれたままです。
そして、自分も相手もその事故のことで一生不愉快な思いを抱えて生きて行かなくてはなりません。

また、ケガをしたCさんも、Bさんの罪を許したから、いつまでも他人を憎み続けなくて済んだのです。
人を憎み続けるというのは苦痛です。もし罪を許さなかったら、CさんもBさんも、一生苦しみ続けたことでしょう。

イエス・キリストの「汝の敵を愛しなさい」です。(第26回参照)

罪を許し、敵を愛せば、お互いに苦しみから解放されます。この「許す」ということも「言向け和す」に重要な要素だと思います。

あいつが憎い憎いというその凝り固まった自分の気持ちをまず和すのです。


ところで、「自分の気持ちを和す」と口で言うのは簡単ですが、実際にはなかなか和すことは出来ないのではないかと思います。
腹が立って仕方がないのに、どうやってその腹を静めたらいいのか。

先ほどの2つの例では、どちらも相手がいて、相手の言動によって和されたのですが、自分一人しかいない場合には、どうしたらいいでしょうか。

宗教的な方法としては「祈る」ことですが、現代では心を健康にするためのテクノロジーが発達していますので、いろいろな方法が編み出されています。(それはおいおい紹介して行きます)
しかし一番簡単なのは「敵のために祈る」ことです。

霊界物語に、宣伝使が敵のために祈っている姿を見て、悪党が言向け和されるシーンが時々出て来ます。(たとえば第16巻第15~16章で、ウラナイ教の青彦が、三五教の亀彦・英子姫に言向け和されたシーン。第12回参照)
これは、祈ってる側にすると、悪党に対する腹立たしい思いが、祈ることによって解消される効果があります。

イエス・キリストの言葉にも「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とある通りです。(第26回参照)

私の体験ではこれが一番効果があり、お金もかかりません。
クソ野郎のために祈るなんて腹立たしくて出来ないかも知れませんが、そこを祈るのです。
涙がちょちょぎれますが、クソ野郎のために祈りたくないという自分の我をあえてへし折って、神に祈るのです。
『○○さんが、良くなりますように。罪が許されますように。立ち直りますように。向上発展しますように。幸福になりますように』
と、憎きあのクソ野郎のために祈ってあげるのです。

これが一番、自分(の副守護神)を言向け和すのに効果があります。
お試しあれ。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章を加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2015年3月12日号 及び 3月16日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(29) やられても、やり返さない ─バンクーバー朝日の場合

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月20日

霊界物語第12巻の「一つ島の深雪姫」のエピソードを以前に紹介しました。(第17回参照)

やられても、やり返さずに、敵と友達になってしまったエピソードですが、実際に起きた出来事の中から、それと似たようなエピソードを見つけました。

「バンクーバー朝日」という野球チームをご存知でしょうか?
日本のチームではありません。第二次世界大戦前にカナダにあった日系人のアマチュア野球チームです。

十九世紀末(明治半ば)から二十世紀初頭にかけて、大勢の日本人が新天地を夢見て海を渡り、遙か彼方のカナダへ移住して行きました。しかし夢の大陸で彼らを待ち受けていたものは、人種差別や過酷な肉体労働、貧困といった厳しい現実でした。

そんな中、日系人社会に一つの野球チームが生まれました。それが「バンクーバー朝日」です。

2014年12月、この日系人チームの栄光と奇跡の物語を映画化した『バンクーバーの朝日』が公開されました。
夢も希望も持てなかった時代に、彼らの活躍が日系人にとって一筋の光となる──という実話をもとにした映画です。

バンクーバー朝日は日系二世の若者を中心にしたチームで、最初はとても弱いチームでした。白人の方がはるかに体が大きく、パワーがあるのでなかなか勝てません。
しかし小柄であることを逆手に取り、その機動力を生かして、バント、盗塁、ヒットエンドランといった業を駆使して、白人のチームを打ち破り、見事リーグ優勝を果たして、白人社会からも支持されるようになります。

彼らバンクーバー朝日の物語の中に「言向け和す」の実例となるエピソードを見つけました。
ここでは映画ではなく次のテレビ番組をもとに紹介します。

●フジテレビ系『奇跡体験!アンビリバボー』2014年12月20日放送(ドキュメンタリー系のバラエティ番組)
 次の書物も参考にしました。
●テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日 ~日系人野球チームの奇跡』2014年、文芸社
●後藤紀夫『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』2010年、岩波書店

日本からカナダに移住した日系人はとても勤勉でした。
しかしやがて、安い賃金でも文句を言わずに働く日系人と、地元の白人との間にトラブルが起きるようなります。「白人の仕事を日系人が奪っている」というのです。
そして日系人排撃運動が起こりました。まじめに働いているだけなのに、文化の違いから偏見が生まれ、憎まれるのです。

1907年(明治40年)9月、大規模な反日デモが起こりました。5千人もの群衆が手に手にプラカードを持ちシュプレヒコールを上げて市内をデモ行進。夜になって群衆は暴徒化し、日系人街を襲撃したのです。「ジャップは死ね!」「出て行け!」と石を投げて、家々の窓ガラスを割ります。

日系人たちは家族の生命と財産を守るため、棍棒を持ち、石や瓦礫を投げ返し、実力で暴徒を撃退しました。自分たちの街を守ったのです。

すると──「日系人は危険だ」と新聞は報道しました。「日系人は野蛮で好戦的な人種だ」という歪められたイメージで伝えられたのです。

そもそも白人が起こした暴動なのに、それに抵抗したことで、逆に日系人は危険な連中であると思われてしまったのです。
カナダ政府はこの暴動以降、移民を厳しく制限するようになりました。

その頃カナダでは野球が盛んでした。そこで日系人としての誇りを保つために日系人の野球チームが作られたのです。白人に勝つ強くチームを作って、白人どもを見返してやろう、と。
こうして日系人の間で野球チームがいくつか作られて行きました。
そして排日暴動の7年後の1914年(大正3年)に、二十歳前後の日系二世を主体とした野球チーム「バンクーバー朝日」が結成されたのです。

最初は弱小チームでしたが次第に実力を身につけ、結成から5年後には日系人チームの中ではナンバー1となります。そしてカナダのセミプロチームで作るリーグに加盟して、白人チームと試合をするようになりました。

するとリーグで白星を重ねて行き、ついにリーグ優勝の候補チームとなります。
そうなると面白くないのは白人チームです。実力で敵わないならと、ラフプレーで勝負して来ます。走塁中に体をぶつけたり、バッターがボールを打つと同時にバットを投げるような不正を仕掛けてくるのです。

リーグ優勝を果たしたバンクーバー朝日は、上部リーグに入ることが認められました。
しかし日系人に対する憎しみがなくなったわけではありません。白人たちは日系人チームが白人チームに倒されるのを見たくて集まって来ます。そのためリーグにとっては集客力の高いチームなのです。

白人チームの不正プレーは止みません。それに抗議する日系人と白人とで試合中に場内乱闘も起きることもありました。
そして、審判もあらかさまに差別するようになるのです。どうみてもセーフなのにアウトと言う白人優遇のジャッジです。それに対して観客も「それ、ジャップをやっつけろ」と沸き上がります。不正プレーで日系人チームは散々です。

監督が変わり、新しい方針が作られました。その一つは、打力よりも機動力やバントなどの小技を、そして徹底して守備を磨くことにしました。いわゆる「スモール・ベースボール」を目指したのです。

そして新監督はもう一つ、フェアプレー精神を徹底させました。審判への抗議は一切禁止にして、どんな不正なジャッジでも決して抗議しないことにしたのです。

しかしバンクーバー朝日は相変わらず惨敗続きです。抵抗しないことをいいことに白人チームは不正プレーをやりたい放題なのです。

「あそこまでされて何で黙っているんだ。何でやり返さない? 勝ちさえすればいいじゃないか」という声がバンクーバー朝日の支援者から沸き起こりました。

ここで前述のテレビ番組では再現ビデオの中で監督に次のように語らせています。

「やられたらやり返す。それでどうなりましたか? 13年前、あの暴動で、白人たちの憎しみに、ぼくらは憎しみで報いました。その結果、何が生まれましたか? 憎しみが憎しみを呼んだだけじゃありませんか? バンクーバー朝日軍は勝たなければならない。だけど勝ちさえすればいいわけじゃない。ぼくたちは白人たちに見せてやりたいんです。どんな不利な状況でも正々堂々と戦い、そして勝つ。それがぼくら日系人の本当の姿だと、祖国日本の魂だと」

その後も、どんなに不正なプレー、偏向した審判をされても、黙ってフェアプレー精神を貫き続けました。この姿勢が白人からはジェントルマンと映り、次第に高く評価されるようになって行くのです。

そしてあるとき大きな事件が起きました。
朝日軍が5点リードしている9回裏、白人チームの攻撃で、ランナー満塁のピンチです。
ここで何とヒットを打たれてしまい、走者が全員戻り、打者も本塁に滑り込んで来ました。

どう見てもアウトですが、審判のジャッジはセーフ。
これで4点取られて1点差にまで縮められてしまいました。

このときも朝日軍は抗議をしませんでした。
しかし、この明らかに不正なジャッジに怒ったのは、白人の観客たちでした。
およそ3千人の観衆は激高してグランドに乱入し、審判を取り囲んで激しく抗議したのです。

今まで日系人を敵視し不正プレー不正ジャッジを喜んでいた白人が、何と今は不正に怒って抗議しているのです。
結局判定は覆りませんでしたが、試合再開後に朝日軍が何とか逃げ切り勝利を収めました。

そして新監督就任から五年目、チーム結成から十二年目にとうとうリーグ優勝を果たし、日系人と白人のファンが抱き合って喜び合ったのです──。

   ○   ○   ○

やられてもやり返さずに、正々堂々とフェアプレーを続ける態度が、白人の日系人に対する憎悪・偏見を和して行ったようです。
卑近な言葉で言うと「こいつら実は良いやつじゃん」ということです。今まで悪いやつだと思っていた日系人が、実は正々堂々と戦うジェントルマンだったと、認識が180度変わったのです。
「悪いやつ」だと思っていたからこそ、悪に天誅を下すつもりで日系人街を襲撃したり、アンフェアなプレイやジャッジを正当化していたのでしょうが、相手がジェントルマンなら、それを攻撃する方が悪になってしまいます。

敵から攻撃された場合、人はどういう反応をするでしょうか?
たいていは戦うか逃げるかのどちらかです。
これは人間に限らず、動物はみなそうです。
ワンちゃんは敵が来たら、ワンワンと吠えます。もし敵が自分より強いと思ったら尻尾を巻いて逃げます。相手に服従する、ということもありますが、これは負けて屈服したので、敗退して逃げるのと一緒です。

しかし人間には第三の道があります。それは「敵と友達になる」ということです。つまり「言向け和す」です。(第23回も参照)

日系人街が白人の暴徒に襲撃されたとき、日系人は実力でそれを阻止しました。戦ったのです。
これは予想される反応の一つです。
そして白人側は日系人は狂暴だと憎悪・偏見を増幅させました。
これでは敵の思う壺です。日系人をカナダ社会から締め出すための、いい口実になってしまいます。

このとき日系人は、荷物をまとめて日本に逃げ帰ることもできたでしょう。しかしそれも敵の思う壺です。日系人がいなくなれば大喜びです。逃げても戦っても、敵の罠にはまってしまうのです。

不正プレー不正ジャッジで散々苦しめられた朝日軍は、不正プレーでやり返したり、不正に断固抗議して戦うこともできたでしょう。また、憤慨してリーグから脱退することもできたでしょう。どちらも予想される当然の反応であり、どちらを選んでも敵の思う壺です。

しかし朝日軍は逃げも戦いもせず、黙々とフェアプレーを貫き通しました。それによって白人たちの気持ちを変えることができたのです。敵と和合して、友達になることができたのです。
これは他の動物にはできません。ライオンとシマウマが友達になったという話は聞いたことがありませんね(笑) これは人間にしかできない業(わざ)です。

前にも書きましたが(第23回)出口王仁三郎は、人というのは神の霊が止(とど)まる「霊止(ひと)」であると説きました。
人間の肉体だけ見ればただの動物です。そこに神の霊が入って霊止となるのです。

敵味方の垣根を取り払って和合して、調和の取れた世界を築くのは、まさに神の為せる業です。

みんな仲良く暮らしたい、という気持ちは人間なら誰でも持っていると思います。日本人は特にそれが強いと思います。

朝日軍が取った態度は、日本精神、大和(だいわ)の精神の発揚でした。
そしてそれが「言向け和す」なのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章を加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2015年1月19日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)