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言向け和す(2) なぜテーマが「言向け和す」なのか?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月16日

霊界物語のテーマは何でしょうか?
王仁三郎は霊界物語のテーマについて明確に述べてはいませんが、私は「言向け和す(ことむけやわす)」がテーマであると考えています。

その前にまず「テーマ」とは何でしょうか?
テーマを日本語に訳すと主題です。
小説や映画、演劇等の主題は、静的な名詞ではなく、動的な動詞や形容動詞であるべきです。

たとえば「愛」をテーマにしたシンポジウムだとか、「自然」をテーマに論じた論文だとか、分野によって「テーマ」の性質が変わって来ます。これらの例では、テーマが名詞であってもおかしくはありません。

しかし小説等におけるテーマとは、作者の主義主張のことです。「戦争をテーマにした映画」と言う場合、その「戦争」という名詞はテーマというよりはむしろ題材とか話題とか呼ぶべきもので、戦争は何だと言いたいのか、その主張こそが真にテーマと呼ぶべきものなのです。「戦争は素晴らしい」と言いたいのか「戦争は悲しいことだ」と言いたいのか、作者の主張によって作品から受ける感動が全く変わって来ます。

「言向け和す」は動詞ですが、厳密に言えば他動詞なので、目的語が必要です。つまり言向け和す対象です。いったい何を言向け和すのか? 「悪を言向け和す」とか「世界を言向け和す」とか、そういう形にすることが、テーマとしてふさわしい言葉になると思います。私は「世界を言向け和す」と言っているのですが、今のところまだ確定の心境には達していないので、とりあえず「言向け和す」だけにしておきます。

ところで、テーマ(主題)に対して、アンチテーゼ(反対命題)も必要です。
たとえば、「愛はお金より大切だ」という主張がテーマであるなら、「愛よりお金が大切だ」というアンチテーゼを立てます。そして、主人公は最初は守銭奴で『ヘン、愛でメシが食えるか』と鼻先で笑っていたのが、献身的に愛を捧げるヒロインと出会うことで、愛の大切さに目覚めて行く…という形でストーリーを展開させて行くわけです。あるいは、主人公は最初から「愛はお金より大切だ」という信念の持ち主という設定にしてもいいです。そして主人公の前に札束をばらまいてその信念を揺るがすような試練を与えながら、『それでも愛は大切だ』というテーマを再確認して行く…という方法もあります。

霊界物語のテーマが「言向け和す」だとするなら、アンチテーゼは何でしょうか? 「言向け和せない」とか「言向け和すなんて無理だ」ということかな??
実際に霊界物語では、地上霊界の主宰神・国常立尊や、地上現界の主宰神・スサノオが、荒ぶる神々を言向け和せずに、彼らによって追放されてしまうのです。
主人公の信念が挫かれたわけです。
大本神諭に「神も時節には叶わんぞよ」と度々出て来るように、世界が言向け和されてミロクの世が成就するには、長い長い歳月が必要でした。その間、国常立尊やスサノオは何もせずに放置していたわけではなく、世界を言向け和すために、陰から守護していた(=工作していた)のです。
で、表に出て活躍するのは、スサノオの手足となる宣伝使たちです。宣伝使たちが、悪党はもちろん、世界の人々を言向け和す旅をするわけです。
そして、霊界物語で一番登場回数が多い高姫は、彼女の存在自体がアンチテーゼです。高姫は言向け和せない最凶キャラです。実際には、彼女は何度も言向け和されて改心するのですが、しかししばらくするとまた悪化してしまいます。結局、最後までそれを繰り返しながらストーリーが進んで行くのです。

さて、霊界物語のテーマが「言向け和す」だと思うようになった理由ですが、最初はそれほど深い理由はなかったように思います。
たしか平成22年(2010年)頃から、霊界物語のテーマは「言向け和す」だと説くようになったと記憶しています。その頃から、イベントの懇親会や、異業種交流会のような場所で、名刺交換をし、私は何をやっている人で、霊界物語とは何なのかを簡潔に説明する必要に迫られるようになったのです。
それで、主人公は誰か(これは前回書いたようにスサノオです)、そしてテーマは何なのかを探究したのです。

霊界物語は惟神を説いている、という見方も出来ます。つまり「神の御心のままに生きる」ということがテーマです。
また「安心立命する」ということがテーマだとも、「人類愛善を実践する」ということがテーマであるとも言えるでしょう。
王仁三郎が、テーマは何かを明言していないので、いろいろな考えがあってしかるべきです。
その中で私が「言向け和す」という言葉に注目したのは、千数百年前から使われている古い大和言葉であるにもかかわらず、現代ではほとんど使われておらず、新鮮味のある言葉と感じたからです。何か人を惹き付ける力を持った言葉だな、と思ったのです。

また、その言葉が霊界物語である程度頻繁に使われている、ということも、理由の一つです。
「言向け和す」という言葉は、その省略形と思われる「言向ける」という言葉と合わせると、霊界物語全巻の中で約600回ほど使われています。それを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが。
ちなみに「惟神」は約3000回、「愛善」は約170回、「安心立命」は約10回です。もちろん、その言葉が多く使われているからと言って、それがテーマということにはなりませんが、「言向け和す」は動詞なので、テーマとして好ましい言葉だと思います。

そして、使い勝手がいい言葉でもあります。
「霊界物語は宣伝使が悪人を言向け和す物語」とか、「スサノオが太古にヤマタオロチを退治した時には斬り殺してしまったので、その怨霊が現代に甦り悪事を為している。今度のオロチ退治は斬るのではなく、言向け和すのである」などと、霊界物語をいろいろ説明する際に、便利な言葉なのです。
「惟神」とか「愛善」に比重を置くよりも、「言向け和す」に比重を置いて説明した方が、説明しやすいのです。

そしてまた、時代精神にマッチした言葉でもあります。
最初は何となく「霊界物語のテーマは『言向け和す』です」と言っていただけだったんですが、次第に「今の時代だからこそ『言向け和す』だ」と確信するようになって行きました。
2010年9月に尖閣諸島周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりして逃走するという事件が起き、その頃から中国での反日活動が活発になって行きます。そして2011年3月の東日本大震災を挟み、2012年9月に日本政府が尖閣諸島を国有化すると、日中国交正常化以降最大規模のデモが起き暴動と化したのです。
このような状況を見て私は、地震の次は『今度は戦争だ』と感じ、『今こそ「言向け和す」だ』と確信したのです。

以上のように、私の霊界物語普及活動の中から「言向け和す」がクローズアップされて来たのです。
ですから、霊界物語のテキスト化作業をしていた時期(2003~2006年)には、「言向け和す」に全く興味を持ちませんでした。
「言向け和す」が霊界物語のテーマだと位置づけた拙著『超訳 霊界物語 ~出口王仁三郎の[世界を言向け和す]指南書』が発売された後、霊界物語を何度も読んでいる長老が、「自分は『言向け和す』を重視していない」と言っていました。たしかに、霊界物語を読んでいるだけでは、「言向け和す」を重視することはないかも知れませんね。私の実践の中から霊界物語のテーマは「言向け和す」だと確信するに至ったのです。

ところで「言向け和す」とはいったいどういう意味なんでしょうか? 実際にどうしたら人を言向け和すことが出来るのでしょうか?
「言向け和す」は古事記に出て来る言葉です。
王仁三郎以前に、先人たちが「言向け和す」についてどのように説いているのか、それを調べてみました。
すると驚くことに、千数百年間、「言向け和す」は全くと言っていいほど、論究されていなかったのです。

(続く)