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二つに引き裂かれた子 ──放任教育・天才教育のススメ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月10日

霊界物語の第1巻の前半は、王仁三郎の霊界探検の物語です。
そこに、少々怖い話がいくつか出てきます。

たとえば第17章「神界旅行(四)」に次のような話が出てきます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0117

──「足」という男が、ある竜女と結婚した(注・竜女というのは、竜神から人間に生まれ変わってきた女性のこと。この第17章の末尾に説明があるので興味ある方は読んで下さい)。
その「足」は前妻との間に二人の子どもがいたが、二人とも死んでしまった。

竜女との間に一人の男の子が生まれる。
「足」はその子を自分の後継者にしようとした。
しかし竜女も、その子を自分の後継者にしようとして焦った。
竜女には厳格な父母がおり、自分の家の相続者にしようとして男の子を離さないのだ。

こうして「足」は無理に引き取ろうとして、男の子の体を二つに引き千切ってしまった(注・これは霊界で目撃した光景です)。
現界でその子は、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬ…と煩悶した結果、とうとう病気になって死んでしまった。──

という話です。
子どもの奪い合いというのは、やはり昔でもあったんですね。
離婚が増加している現代では、もはや日常茶飯事だと思いますが。

アメリカ人男性と結婚した日本人女性が、離婚して、子どもを連れて日本に帰国し、その後「親権妨害」の罪でアメリカで逮捕された──というニュースがありました。(注・2011年10月のことです)

別れた元・夫が、子どもを返せ、と言うわけです。
子どもが拉致されて日本に連れて行かれたと、大騒ぎです。

夫婦間のゴタゴタはケースバイケースですから、一概にどうのこうのは言えませんが、子どもの心を、父親と母親がバトルして引き裂くような親は、そもそも親としての資格がないかも知れませんね。

しかし、誰だって最初から親としてプロの人なんているはずがありません。
あやまちを繰り返しながら親として育って行くのです。
結婚だって、よく考えてみると、一度目の結婚でうまくいく方が「奇蹟」かも知れませんね。生まれて初めて夫や妻になるんですから、最初からうまくなんか行きませんよ。

ところで子どもを引き裂く原因は、離婚したことではなく、子どもに対する執着心ではないかと思います。
子どもを自分のものにしよう、自分の思い通りにしようという、執着です。

父親も母親も、どちらも子どもを自分のものにしようとしたら、そりゃあ、子どもは二人の間で引き裂かれてしまうはずです。

王仁三郎の子育て法は「放任教育」です。
子どもを、親が決めた枠にはめて育てるのではなく、本来持って生まれたままに育てる、ということです。
天賦の才能を育てる、という意味で「天才教育」でもあります。

問『子供の教育は放任主義がいいのですか』
王仁『全くかまわぬ方が一番いい。好きなようにやらした方が良い。植木鉢の木よりも谷間の木の方が何ほど役に立つか判らぬからのう。ひねくれてしまったら何にもならぬ。そんな事は教育ではない。子供の教育は学校と家庭ですべきで、学校の教育は厳しいから、家庭は本当に自由な天国にしておいてやらねばいけない。でないと親の前では行儀が良くても、人のおらぬところで悪い事をやる。子供はひがませないようにせないかぬ。やんちゃをようせぬような子供は、学校の成績は良くても人に使われるような者にしかならぬ。……早教育はいけない。つめ込み主義はいけない。今は課目が多過ぎていかぬな。すべて天才教育でなければだめだ。一つか二つ好きなものをやらせる。書でも絵でも、歴史でも、文学でも何でも、その子の好きなものを、それだけやらせれば、一人前の者になるけれども、今の教育はそれをやらぬ。間口だけ広くして奥行が少しもない。今の学者は何も知らない。だから何にもならぬ。何も含まれているのだから、一つか二つやったらそれでよいのや。一つ道をズッと行きさえすれば、それに関連して他の事は覚えるものや。どんな学問でもすべて附随しているものや』
〔『出口王仁三郎全集 第二巻』「愛児の為めに」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121802c214

国依別『…俺の言う教育の「教」はそんなのではない。森林の中に雲を凌いで聳え立つ喬木(きょうぼく)の「喬」だ。現代のような教育のやり方では、床の間に飾る盆栽は作れても、柱になる良材は出来ない。野生の杉・桧・松などは、少しも人工を加えず、惟神(かんながら)のままに成育しているから、立派な柱となるのだ。今日のように児童の性能や天才を無視して、圧迫教育や詰込教育を施し、せっかく大木になろうとする若木に針金を巻いたり、心(しん)を摘(つ)んだり、つっぱりをこうたりして、小さい鉢に入れてしまうものだから、ろくな人間は一つも出来やしない。惟神に任して、思うままに子供を発達させ、智能を伸長させるのが真の教育だ。…』
〔霊界物語第69巻第3章「喬育」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6903#a278

こういう惟神な教育だったら、誰が育てたって同じかも知れませんね。
極論を言えば、飯だけ与えて放っておきゃ、勝手に育つのですよ。

「自分の跡継ぎにしよう」とか「優秀な教育を受けさせよう」とか「テレビタレントにしよう」とか「医者にしよう」とか、親にそういう利己的な願望・執着が強いと、たとえ離婚してなくても、子どもの心は引き裂かれてしまいます。親の期待に応えようという気持ちと、本来の自分・ありのままの自分で生きて行きたいという気持ちとで、真っ二つです。

子どもは神様からの預かりもので、神様から与えられた天賦の才能を発揮できるようにサポートしてあげるのが本来の親の役目です。しかし現実には、それを真逆に思っている人が多いのではないでしょうか。──子どもは親のもので、親の好きなように育てる──と。

この執着からなかなか離れることが出来ないわけですが、それを手放すことで「惟神の道」に入ることが出来ます。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2013年4月8日号掲載の文章に加筆訂正したものです)