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第1巻の最初の章に口述日が書いていないワケ 「回顧録」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月07日

霊界物語は出口王仁三郎が書いた本ですが、王仁三郎が自分の手で書いたのではありません。
自分で書いた部分もありますが、ほとんどは、自分は口述をして、弟子の信者に筆録させていました。言うなれば人間ワープロですね。

どうして口述・筆録という分業方式を取ったのかというと、開始した当初は体調が悪かったからのようです。

大正10年(1921年)2月12日、第一次大本事件で王仁三郎は投獄されます。
不敬罪の容疑で起訴され、126日後の6月17日に出獄。10月5日に懲役5年の一審判決が出ました。
その三日後、10月8日(旧9月8日)に「霊界物語を書け」と神命が下ったのです。
第2巻序にその時のことが書かれてありますので引用してみましょう。

…しかるに本年の旧九月八日にいたって、突然神命は口述者の身魂《みたま》に降《くだ》り、いよいよ明治三十一年の如月《きさらぎ》に、『神より開示しおきたる霊界の消息を発表せよ』との神教に接しましたので、二十四年間(注・明治31年=1898年から大正10年=1921年まで数え年で24年間)、わが胸中に蓄蔵せる霊界の物語を発表する決心を定めました。
 しかるに口述者は、本春以来眼を病み、頭脳を痛めてより、執筆の自由を有せず、かつ強いて執筆せんとすれば、たちまち眼と頭部に痛苦を覚え、いかんともすること能《あた》わず、ほとんどその取り扱いについて非常に心神《しんしん》を悩めていたのであります。
 その神教《しんきょう》降下ありて後、十日を過ぎし十八日の朝にいたり、神教ありて『汝は執筆するを要せず、神は汝の口を藉《か》りて口述すべければ、外山豊二、加藤明子、桜井重雄、谷口正治(注・後に「生長の家」を創始した谷口雅春)の四人を招き、汝の口より出づるところの神言《しんげん》を筆録せしめよ』とのことでありました。
 そこで自分はいよいよ意を決し、並松(注・綾部市並松町)の松雲閣《しょううんかく》(注・大本の建物)に隠棲《いんせい》して霊媒者となり、神示を口伝えすることになったのであります。
〔第2巻序〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm020001

なるほど。
弟子に筆録させたのは、自分の手で書くのが面倒だったからではなく、頭痛と眼痛で自分の手で書くことが難しかったからなんですね。

10月18日から霊界物語の口述を開始しましたが、その前夜、王仁三郎の枕元に教祖(出口ナオ)の神霊が現れると、あたかも馬にムチを打つかのように、棒で畳を3~4回打ちつけたのです。これは「早く書け」という催促です。
そこで王仁三郎が「いよいよ明日から霊界物語の口述に着手しますからご安心下さい」と言うと、ニッコとしてその麗しい姿を隠しました。
〔第8巻総説参照〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm080003

さて、その口述した日が、各章の末尾に書いてあります。

しかし。
第1巻の最初の方の章には、口述日が書いていないことに気がついたでしょうか??

レモンで第1巻第1章から見てみてください。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0101

第12章の末尾に「大正一〇・二・八 王仁」と書いてあります。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0112

これは実は、第1~12章は大正10年(1921年)2月8日に王仁三郎が書き終えたよ~、という意味です。
全章をその日に書いたのか、何日かかかって書いたのかはちょっと分かりません。

次の第13章からは、弟子が筆録しています。
大正一〇・一〇・一八 旧九・一八 外山豊二録」と書いてあります。

霊界物語は大正10年10月8日(旧9月8日)に、神様から王仁三郎に「書け」と神示が下り、10月18日から書き始めました。

しかし第1巻の第12章まですでに2月8日の時点で書いてあったのです。

書いた文章は、当時の大本の機関誌『神霊界』2月号と3月号に随筆「回顧録」と題して載せています。

王仁三郎はそれをそのまま第1巻に載せようと思ったみたいですが・・・当時の役員信者に反対されて、かなりの部分を修正して、霊界物語に掲載したのです。

当時は出口ナオ開祖を中心にした信者集団だったので・・・
新参者で娘婿の王仁三郎は、開祖より「下」に見られ、あるいはまた「悪の御用」と見られていたので、教団運営の実権を握っていなかったのです。
それで役員たちから修正を迫られました。
王仁三郎こそが、ナオ開祖が待望していたみろくの大神、つまり救世主の役割だったんですが、当時の役員信者たちはそのことがよく分からなかったんですね。
それで王仁三郎をかなり軽視していて、修正しなくては霊界物語が出版できないような状態だったので仕方なく修正したわけです。

読み比べてみると、修正箇所がかなりあります。

王仁三郎=瑞霊を、出口ナオ=厳霊よりも高く評価しているような箇所や、当時の大本の役員信者たちの態度を批判しているような箇所が、修正されています。

霊界物語第1巻「発端」と、回顧録の「序」が対応するんですが、それを比較して、相違点をいくつか紹介します。

●ビフォー(回顧録)
変性女子は】(略)明治三十一年の二月九日をもって【瑞霊の表現者として現れ】(略)物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔誑惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加え来たれるは、即ち【瑞霊の】偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力のいたすところではないのである。

●アフター(霊界物語)
変性女子の肉宮は】(略)明治三十一年の旧二月九日をもって【神業に参加し】(略)物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔誑惑せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加え来たれるは、即ち【神霊の】偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力のいたすところではないと思う。

こんなふうに「瑞霊=王仁三郎」の役割の重要さを表に出すことはできずに、霊界物語の方では書き換えたようです。

「決して人智人力のいたすところではないと思う」の後に、回顧録では次の一文が入っていますが、霊界物語では削除されています。
役員信者に対する批判です。

●ビフォー(回顧録)
誤れる信者の中には、今日の皇道大本の発展と天下の覚醒は、役員信者の忠実熱心なる努力の結果なりと称すれども、いかに神智偉能ありとも、厳瑞二霊の深甚なる御経綸と、神界の御加護なくしては、一人といえども首肯せしめ入道せしむることは出来ないのである。

●アフター(霊界物語)
削除

大本神諭まで修正を余儀なくされています。
「三人」が「少し」に。

●ビフォー(回顧録)
神諭に「天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解(わかり)たものが【三人】ありたら、樹替樹直しはできるなれど(略)」

●アフター(霊界物語)
神諭に「天地の元の先祖の神の心が真実に徹底了解(わかり)たものが【少し】ありたら、樹替樹直しは立派にできあがるなれど(略)」

霊界物語の「豊国主神の神権である。」以降の文章は、全部違います。
霊界物語の方はレモンを見て下さい。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm010003#a123
下には回顧録の文章を載せておきます。

(略)豊国主の神の顕現たる瑞の御魂の神権である。
 故に宇宙一切は霊界は主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。大本の信者の大部分は真正に神諭の了解が出来て居ないから、体的経綸の神業者ヨハネを主とし、霊的経綸の神業者を従として居る人が多い。否な全部体主霊従の信仰に堕落して居るのである。
 神諭に「艮の金神が天の御先祖様、五六七の大神様の御命令を受けて、三千世界の身魂の立替、立直しを致すぞよ。それに就ついては、天の神様 地に降りて御手伝遊ばすぞよ」とあり、「天の神様 地に降りて御手伝遊ばすぞよ」との神示に注意すべきである。この間の神界の御経綸が分らなければ、皇道大本の真相が解らぬ。真相が解らぬから何時までも体主霊従の誤つた宣伝を続行してますます天地の大神の御経綸を妨ぐる事になるのである。
 神諭にも「途中の鼻高(はなだか)が我はエライと慢心いたして、神を尻敷(しりしき)にいたして居るぞよ」とあるが、これが判つた人が、一日も早く出て来て欲しい。身と魂と一致して神業を完成するのは、三代の御用と云ふ事も、以上の消息が解つて来ない間は、実現するもので無いのである。
 神諭にも「この大本は男子と女子との筆先と、言葉とで開く経綸(しぐみ)であるから、ほかの教を持て来て開ひたら大変な間違ひが出来て来て、神の経綸(しぐみ)の邪魔になるから、役員の御方心得て下されよ。慢神致して我を出したら、神の真似を致して筆先を人民が出したら、何遍でも後戻りを致すぞよ。今は初発(かかり)であるから、なるやうに致して、御用聞いて貰はねばならぬなれど。五六七(みろく)様がお出でましになりたら、男子女子のほかは筆先は出されんぞよ」云々と所々に示されてある。
 この筆先と云ふ神意は新聞紙の事では無い。要するに役員さん等の発行されつつある単行本の中でも、教義的意味を含んだものを指されたのである。何ほど人間の智慧や学文の力でも、深玄微妙なる神様の大御心が判るもので無い。故に大本の歴史に関する著述は差支えないが、いやしくも教義に関する著書は、神諭の解つた役員信者から根本的に改変して貰はぬと、いつまでも神様は公然(あつぱれ)と現はれ玉ふ事が出来ぬのであります。
 今までの著書といへども、全部誤つて居るのでは無い。ただ教義的意味ある箇所に限つて人意が混合して居るだけである。しかしながら、たとへ一小部分でも間違つて居つては実に大変である。王仁(わたし)は学者の意味を尊重して、今日までは隠忍して和光同塵策を持して来たのであるが、最早今日となつては信者も多く、また神霊界の読者も日に月に増加し、天下の注意を曳くように成つて来たから、黙視するに忍びず、涙を呑んでこの稿を書いたのである。
 何ほど立派な神が憑つて、書を著(あら)はしたり、口で説いても根本の経綸は解つた神はない。みな近頃現はれる神の託宣や予言は全部守護神が大本の神諭を探り、似たり八合の事を行つて居るものばかりである。今後まだまだ所々に偽予言者、偽救主が出現して、世人を惑はせ、世人をしてその本末軽重をあやまらしむる事が出て来るから、読者の深甚なる注意を望む次第であります。

当時の役員たちは王仁三郎の”暴走”を食い止めようとして削除させたんでしょうけど、しかし私に言わせれば第1巻第24章「神世開基(ヨハ子)と神息統合(キリスト)」を読めば、両者の関係が全て分かります。私は王仁三郎に出会う前はキリスト教にかなりはまっていたので、一目で分かりました。

この章で王仁三郎は、出口ナオ開祖をヨハネに、自分をキリストに喩えているのですが、そもそもヨハネとキリストは並べるようなものではありません。ヨハネは前座でキリストが真打ちです。キリスト(救世主)出現のためにヨハネが現れたのです。この章だけでも、開祖と王仁三郎の関係がはっきりと分かるのです。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0124

しかしこの章で王仁三郎は「…故にキリストは、かえってヨハネの下駄を直すにも足らぬものである」と卑下して書いているので、役員たちは気が付かなかったのでしょうね。それでここは削除されなかったようです。

もちろん、当然ながら、ヨハネも開祖も、それぞれ役割(御用)があってこの世に現れたのですから、決して不要な存在ではありません。

大本は出口ナオが開きましたが、それは「天の神様」である王仁三郎のその経綸のために、大本を開いて待っていた、と言えます。

現代から過去を振り返れば、出口ナオよりも王仁三郎の活動こそがスゴイということがわかりますが、しかし当時はまだ王仁三郎が大々的に活動を開始する前なので、王仁三郎の役割がよくわからなかったのでしょう。

霊界物語を書き始めた頃から、ようやく王仁三郎が大本の全権を掌握して世界的な活動を展開して行くことになります。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2014年3月25日号及び3月27日号掲載の文章に加筆訂正したものです)