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宗教の統一、道義的・精神的な世界統一

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月25日

天下の統一は、天下を統一しようという野望を持った人によって成し遂げられます。
信長・秀吉・家康が天下統一の野望を持たなかったら、日本列島には小国が乱立していたことでしょう。

実は統一というのは、庶民にとっては非常に迷惑な話です。
多かれ少なかれ文化・風習の変化を余儀なくされますので、メリットがなければ、統一に「反対」する人が大多数だと思います。
外国に行く機会があると『このケータイが外国でも使えたら便利なのに…』とか、統一の必要性を感じたりするのですが、日常生活の中では外国と関わることはありませんので、統一の必要性は感じないことでしょう。

おそらく王仁三郎の時代には──今から100年も前の明治~大正~昭和初期には、王仁三郎がいくら「世界統一」を唱えたって、ピンと来る人は少なかったと思いますよ。
あまりにも話が突飛すぎて、ついて行けない人が多かったと思います。

しかし現代は交通・通信網が発達し、外国と関わりなしに生きていくことは出来なくなっています。
そこら中どこにでも外人がいるし。
インターネットを使えば世界中から情報が入るし買い物できるし。
法律が世界共通にならないと、いろいろな不具合がたくさん出て来ます。
戦争や環境問題に限らず、庶民が世界統一ということにコミットしやすい時代になって来たと思います。
今や「世界統一」という言葉は、天下人を目指す人だけのものではなくなって来たのです。

この世界統一について、制度や組織の統一の前に、精神的・道義的な統一を先にやらなくてはいけない…という意味のことを王仁三郎が言っていることは、前回書きました。→世界を統一する「奥の大勢力」とは?
外面の統一の前にまず内面の統一、ということです。「霊主体従」の法則です。

それを王仁三郎は、一貫してやり続けて来たのです。

たとえば入蒙記では、関東大震災(大正12年)以降の自分の活動を振り返り、

…奮起すべきは今なり。…支那五大教の提携となり、朝鮮普天教(ふてんきょう)との提携となり、国際語エスペラントの宣伝となり、精神的世界統一の一歩を走り出した。
入蒙記第3章

と述べています。
この精神的・道義的統一は、王仁三郎の使命というばかりでなく、天皇の使命・日本国家の使命としても唱道しています。

…皇国は世界を道義的に統一すべき、神明の国であって、決して体主霊従的の経綸の如く、征服とか占領とかの、無法横暴を為す事を許さぬ神国である。
第10巻第30章

…わが天津日嗣天皇が豊葦原の瑞穂国(全地球上)を道義的に統一せらるる機運は今や刻々に進みつつあるのである。
『惟神の道』所収「難局打開の鍵」

このように、王仁三郎が言う世界統一は、世界政府の樹立というような制度的・組織的な統一よりも、精神的・道義的統一に重心が置かれているのです。敵愾心を取り除いて、内面的に和合して行こうということです。

また王仁三郎は「宗教の統一」という表現も使っています。

…三千世界に共通の 真の文明を完成し 世界雑多の宗教や 凡ての教義を統一し 崇高至上の道徳を 不言実行体現し…
第28巻総説歌

…健全なる信仰を復活せしめ、やがて世界の宗教統一を実現すべき使命は、どうあっても、わが日本にあらねばならぬ。
『出口王仁三郎全集 第1巻』所収「信仰の堕落」

王仁三郎はこの「宗教統一」を行った人でもあります。
「世界宗教連合会」を結成し、業界団体を作るという形で「統一」を進めたということの他に、教義・教理の統一も進めました。

王仁三郎の教えには、神道や仏教はもちろん、キリスト教やバハイ教やスエデンボルグなど、いろいろな宗教思想が取り入れられています。
このような形態を「宗教のデパート」と表現する学者がいます。第二次大戦後の新興宗教では、デパート状態の宗教は珍しくありませんが、明治~大正期の新興宗教としては、珍しかったのではないでしょうか。天理教も金光教もデパートではありません。宗教のデパートは王仁三郎が元祖ではないかと思います。
王仁三郎は単に諸宗教の要素を取り入れただけではなく、釈迦もキリストもみなスサノオの分霊だと言ってのけました。〔第6巻第23章「諸教同根」参照〕
大戦後はこれを「万教同根」と表現します。つまり諸宗教はみな同じ一つの神から発生していると説いたのです。
こういう形で王仁三郎は宗教の統一を進めました。教義・教理面での統一です。それまで個々別々に無関係に存在していた世界の宗教を、一つの大きな風呂敷に包み込むことで、宗教界・精神界に新しい視野をもたらしたのです。

しかし、教義・教理において諸宗教を「統一」したと言っても、そういう考え自体が一つの宗教に過ぎません。王仁三郎(大本)という名の一つの宗教なのであって、その下に諸宗教が組み込まれたわけではありません。
個々別々だった諸宗教を一つに繋ぐ見方を提示しただけであって、それに賛同する人もいれば、賛同しない人もいるわけです。既成宗教の信者さんはおそらく誰もそんな思想に賛同しないでしょうねえ。日本では新興宗教、欧米ではニューエイジムーブメントという形で、そういうデパート的な思想が広まって行きましたが、それによって既成宗教が消滅したわけではありません。健在です。
真に諸宗教を一つにして行くためには、業界団体を作るとか、教義・教理の統一とか、そういう表層面だけではなく、もっと別のアプローチも必要となります。
それは、宗教の共通項を見出し、普遍的な原理を探究するということです。

王仁三郎は大戦後の昭和21年に、大本を「愛善苑」という名称で新しくスタートさせました。
その会則の第一条には次のように書いてあります。

   第一条
本会ハ天地ノ公道万教ノ根本義ヲ究明シ宗教的信念情操ヲ涵養シテ人類愛善ノ大義ヲ実践普及シ以テ世界ノ平和ト福祉ノタメニ貢献スルヲ目的トス
愛善苑会則

「天地ノ公道」とは即ち宇宙の真理・法則であり、「万教ノ根本義」とは即ち諸宗教の普遍的な原理ということです。それを「究明」することを、会則の筆頭に掲げたのです。
イエス・キリストがスサノオの分霊だなんて、クリスチャンは断じて認めませんが、人類愛が大切だということは当然ながら認めるでしょう。
そういう、宗教に普遍的に共通する原理・法則を見出して、それによって一つに繋がって行こうというのです。
それによって王仁三郎は、世界の宗教の統一、道義的・精神的な世界統一を果たそうとしたのです。

しかし王仁三郎の雛型神業はここまでです。
昭和23年1月19日に王仁三郎は昇天し、その神業は完了しました。
それ以後は、実地の世界で統一が進められて行きます。

(続く)

世界を統一する「奥の大勢力」とは?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月24日

霊界物語は81巻(83冊)もあるので、第○巻に何が書いてあったと覚えるのがなかなかたいへんですが、覚えやすい巻もいくつかあって、12巻で一括りになっているのでその最初や最後の巻は比較的覚えやすいです。たとえば第12巻は天の岩戸開きで、第13巻は半ダース宣伝使、第24~25巻は竜宮島、など。

第64巻も比較的覚えやすいのではないでしょうか。6+4=10です。ニンテンドー64の64です。

第64巻はこの前書いたように上下の2冊に分かれており、エルサレムが舞台です。
これは第1~4巻で舞台となる「聖地エルサレム」とはまた別です。
そちらのエルサレムは「地の高天原」とも呼ばれ、神代の世界の首都です。現代の地理にあてはめると、トルコのエルズルムの辺りを指します。〔第37巻第1章参照。「アーメニヤの南方に当るヱルセルム」〕

第64巻の舞台となるエルサレムは、現代のイスラエル(パレスチナ)のエルサレムです。
これが書かれた大正時代はイギリスの植民地でしたが、ユダヤ人国家が誕生しているという設定になっています。イスラエルは第二次大戦後の1948年に建国されますが、王仁三郎はイスラエルの建国を予言していたと言えます。(ちなみに王仁三郎が昇天したのはその年の1月19日で、イスラエル建国は約4ヶ月後の5月14日)

この巻の主人公ブラバーサは、日の出島(日本)からエルサレムに宣教にやって来た男性で、「ルートバハー」という宗教の宣伝使をしています。ルート root という名称は大本を暗示しており、他の巻での三五教に該当します。

ウラナイ教の高姫に該当する女性もおり、ユラリ教のお寅と言います。

ブラバーサの活動を妨害するお寅一派のドタバタ劇(64巻下)や、ブラバーサに恋慕して言い寄る女性マリヤとのラブストーリー(実はマリヤは神様からブラバーサを保護する役割を与えられていた)などが繰り広げられながら、「救世主の降臨」とか「世界の統一・和平」ということをテーマに物語が展開して行きます。

よく引用されるのが、第5章「至聖団」の次の一節です。マリヤの演説の中に出て来ます。
マリヤは「アメリカンコロニー」というクリスチャンの共同体に住んでいるんですが、そこを訪れたブラバーサや、コロニーの執事スバッフォードが演説し、その後に続いてマリヤが演説します。
マリヤはキリストの再臨(五六七神政の成就)に向けてやるべきこととして、次のように演説します。

…まず第一に神の子、神の生宮(いきみや)たる吾々は、世界にあらゆる有形・無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備≪警察的武備は別≫と国家的領土の閉鎖とであります。また無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心(てきがいしん)だと思います。また宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思います。この世界的の有形の大障壁を除くためには、まず無形の障壁から取り除いてかからねばならないと思います。…この障壁をなす唯一の根元は自己心と自我心です…
〔第64巻上第5章「至聖団」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm64a05&mka=a174-a180a189#a174

ここで、有形の障壁として軍備と国境を指摘し、それを無くすにはまず心の中の障壁から取り除く必要があると語っています。
これはあくまでもマリヤという登場人物のセリフに過ぎないのですが、特に重要視され、たびたび引用されるのは、これはまさに王仁三郎の活動そのものだったからです。

軍備の廃止というと──テロリストやならず者国家がたくさんあるのに軍備を廃止したらとんでもないことになる…と思う人もいるでしょうけど、軍備の廃止はワンワールドが前提です。
「警察的武備は別」と書いてましたが、世界政府の機関である世界警察は当然武装しているわけです。各国家の主権から交戦権を廃止して各国の軍備を廃止し、それに従わないテロリストやならず者国家は、世界警察が対応するのです。
ですから王仁三郎は武力を否定しているのではありません。その運用の方法を問題にしているのです。

警察と軍隊の違いは何でしょうか? 端的に言うと、違法行為に対して自動的に武力を発動して取り締まるのが警察です。それに対して、司令官の思惑によって恣意的に武力を発動させるのが軍隊です。
現在は、アメリカやイギリスなどが、自国の軍隊を動かして世界の紛争に対応していますが、その運用は全くフェアではありません。シリアのISILは攻撃するのに、なぜ北朝鮮は攻撃しないのでしょうか?
それは言うまでもなく、軍隊というのはその国の為政者(最高司令官)の都合によって動くからです。北朝鮮の独裁政府は存在していた方が、米英にとって都合がいいのです。アジアに軍を駐留しておくいい口実であり、それは結果的に中国に対して睨みを利かすことが出来ます。
もし世界警察が存在しているのなら、北朝鮮にガサ入れしているはずです。容疑はいろいろありますが、核開発は別としても、日本人や韓国人を多数拉致監禁している容疑だけで十分、家宅捜索令状を取ることが出来るでしょう。もし世界裁判所の令状に北朝鮮政府が従わなければ、公務執行妨害で武力を発動することになります。

このような武力は、為政者が恣意的に発動させるのではなく、法によって自動的に発動するようにしなくてはいけません。それが警察です。
その法と警察が今は存在しない、つまり世界政府が存在しないため、各国が武装するのは時代の過渡期としては止むを得ませんが、進むべき道は世界の統一です。世界政府を樹立し、各国の武装を廃止することです。

それで、王仁三郎の昇天後ですが、大本は世界連邦運動に積極的に取り組んだのです。
ところが米ソ冷戦に突入し、その運動はパッとしない状態になってしまいましたが、今、世界統一運動を再興させる時期が来ているように思います。

しかしマリヤの演説にあったように、世界の統一は、まず人々の心の中の敵愾心を取り除かねばなりません。
それで王仁三郎は「人類愛善」を旗印に世界的に活動を展開して行ったのです。それは「道義的統一」とか「精神的統一」と呼んでいます。TPPのように、形だけ先に統一させようとしても、反対派の妨害によって頓挫しかねません。

   ○   ○   ○

この第64巻で、もう一箇所、たびたび引用される箇所を紹介します。
それは第15章「大相撲」です。

ブラバーサは宿泊しているカトリックの僧院ホテル(これは現在「ノートルダムセンター」という名称の実在するホテルです)で、バハイ教の宣伝使バハーウラーと面会します。
その会話の中には、日本とアメリカとの対比や、日本の七不思議とユダヤの七不思議との対比などが出て来ます。
それもおもしろいのですが、ここで日米戦争の予言や、その後の世界が統一されるという予言もあって、この章が注目されるのです。

ブラバーサは「東西の大関が世界の大土俵上に、褌(まわし)をしめてにらみ合っている以上は、ハルマゲドンつまり世界最後戦争は免れない」(意訳)と語ります。
東西の大関とは、日本とアメリカのことです。つまり日米戦争が予言されているのです。

それを聞いたバハーウラーは「その二大勢力はどちらが天下を統一すると考えますか」と尋ねます。

するとブラバーサは
常世国(アメリカ)ではないと思います」
と答え、そして
「その二大勢力よりも、も一つ奥に大勢力が潜み、最後の世界を統一するものと神示によって確信しております」
と答えます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm64a15&mka=a129-a135a150-a153a165-a166#a128

この「奥の大勢力」とは何かというのが謎なのです。

単に「奥の大勢力」とだけ聞くと、フリーメーソンやらイルミナティやらの秘密結社のような勢力を思い浮かべる人もいるでしょうね。

しかしここでブラバーサは、ユダヤの七不思議と日本の七不思議が対照的なことを説明して
「これを考えてみれば、どうしても、この日の出島(日本)とパレスチナ(ユダヤ)とは、何か一つの脈絡が神界から結ばれてあるように思います」
と語るのです。

おそらく何らかの日ユ連合が、この「奥の大勢力」ではないのかと私は考えています。

日本とユダヤとの繋がりと言えば、日ユ同祖論が有名です。古代イスラエルの失われた十部族の一部が日本に渡来して、日本人の祖先の一部になっているという話です。
それは王仁三郎も肯定しており、歴史的事実なんですが、しかししょせんは古代の話です。

現代の新しい日ユの関係が、これから重要になって来ます。
ほとんど誰も注目していないと思いますが、米英が衰退して行くこれからの時代は、日本とイスラエルとの関係が重要になります。

トロッキーの宣伝歌「君の仁政はどこにある♪」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月23日

先日のブログで、第64巻下(旧・第71巻)は検閲に引っかかって発禁処分になったと書きましたが、どの辺りが検閲に引っかかったのでしょうか? 天皇に対する不敬の言辞のようなものは見当たりませんが。

愛善世界社刊行の霊界物語第64巻下の「あとがき」に、発禁の事情が書かれているので引用してみます。

出口聖師は、六十四巻下を大正十四年十一月七日付発行の初版本をもととして、昭和九年及び昭和十年に校正されている。その校正本を見ると、第八章「擬侠心」のトロッキーの宣伝歌の冒頭の「君の仁政はどこにある」を「僕の人生はどこにある」とあらため、さらにその下の空白部分に「本章は題字と一八一四のみをのこし白紙にしておく」「本章は発禁の部に付き全部削除すべし」「以下十六頁は転載すべからず」と記入し、注意をうながしている。

第64巻下第8章「義侠心」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm64b08

この章は共産党の「トロッキー」が数百人の労働者を煽って警官隊を袋叩きにするシーンです。
そのトロッキーの歌とかアジ演説の内容が、検閲に引っかかったようです。
冒頭に「僕の人生はどこにある」とありますが、これが校正前は「君の仁政」になっており、それが天皇を批判した不敬な文章だと当局は判断したのでしょう。

この程度の政治批判は現代だったら何でもなく、共謀罪にすらならないでしょうが、当時は許されなかったのです。

「国立国会図書館デジタルコレクション」で、当局が検閲した本がオンラインで見られます。
興味ある方はごらん下さい。検閲の赤線が引いてあります。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/988481

大正14年(1925年)8月に口述された第71巻(現・第64巻下)は、11月に発行予定でしたが、製本直後に検閲に引っかかり発禁。
その後、昭和9年(1934年)に刊行された『出口王仁三郎全集 第4巻』の中に、第8章を削って収録されています。
霊界物語ネットの「書籍ダウンロード」から『~全集 第4巻』のPDF(onibon_pdf_09.zip)をダウンロードできるので、興味ある方は見て下さい。第8章「義侠心」がまるまる削られています。

現代から振り返って考えてみると、何だかとても下らないことで発禁処分にしていたわけですが、今でも中国や北朝鮮、イスラム原理主義国家などではこんなかんじです。
世界はまだまだ立替えが必要なようです。

↓王仁三郎が校正した本。
第64巻下 校正本

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2014年3月6日号掲載の文章に加筆訂正したものです)

なぜ第64巻は上下に分かれ、入蒙記は特別編になっているのか?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月22日

霊界物語には第64巻上・下と、特別編入蒙記というイレギュラーな巻があります。
これがあるために目次を作ったり、プログラムを作ったりするときに、少々手こずることになるのです。霊界物語ネットの霊界物語の目次を見れば分かるように、すんなりと作れないのですよ。

一体なぜふつうに第64巻、第65巻・・・とせず、また入蒙記も本編に入れずに特別編という、イレギュラーな形になったのでしょうか?

まず入蒙記ですが、実は当初は第67巻として書かれました。しかし結局霊界物語には収録されず、「上野公園」というペンネームで『王仁蒙古入記』というタイトルで出版されました。出版元は綾部の「蚕都新聞社」という会社で、その社長の「上野公園」氏が、出口王仁三郎から入蒙のドラマを聞いて著述した…という形式になっていますが、王仁三郎が書いたものです。
なぜそのような形で出版することになったのかについて、入蒙記第3章には

さて蒙古入については、昨冬王仁蒙古入記と題し霊界物語第六十七巻に編入した。しかしながら、ひるがえって考うれば種々の障害のため、事実を闡明するの便を得ず、やむをえず上野公園著として天下に発表する事としたのである。〔入蒙記第3章〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rmnm03#a130

と書かれています。「種々の障害のため」というのですが、具体的にどのような問題があったのかは勉強不足のためよく分かりません。

次に第64巻の下ですが、こちらは当初は第71巻として書かれたのですが、製本直後に検閲に引っかかり発禁処分となりました。その後、昭和10年に校正した際に「第64巻と合冊して出版するように」と王仁三郎が指示したため、戦後出版する時に第64巻の下という形で出版することになったのです。

↓王仁三郎が校正した本。「合冊」の文字が見える。

「合冊」とは文字通り一冊の本にすることです。しかし現実問題として1冊にすると本が超ブ厚くなってしまうため、上下2分冊にすることは止むを得ないことだと思います。

ところで霊界物語ネットは電子なので、そういう物理的なことを気にする必要はありません。ですから最初は、上下に分けずに一体化してしまおうか…とも思ったんですけどね。。。
その方が目次もプログラムもシンプルになるし。
ここはまあ、いろいろ検討したんですけど、紙の本との互換性を考えて、霊界物語ネットでも上下に分けた次第です。

信天翁(あほうどり)──王仁三郎は偽者?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月21日

「信天翁」(あほうどり)とは、第10、11、13、14巻の巻頭または巻末に挿入されている歌の題名です。
歌の内容は、その巻の本文とは特に関係ないようです。霊界物語に反対して酷評・中傷する信者や学者、マスコミ等を批判している歌です。論理的に批判しているのではなく、アホーアホーと茶化しているような歌です。

この歌の中で特に注目されるのは、第13巻の「信天翁(三)」の最後の部分です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm139901

大正11年(1922)に出版された霊界物語の初版では、次のようになっています。

(略)今 大本にあらわれた/変性女子(へんじょうにょし)はニセものだ/誠の女子(にょし)が現われて/やがて尻尾が見えるだろ (略) 時節を待っていたならば/いずれ現われ来(きた)るだろ/ミノ(美濃)か尾張の国の中/変性女子が分かりたら/モウ大本も駄目だろう/前途(さき)を見こして尻からげ/一足(ひとあし)お先に参りましょう/皆さまあとからゆっくりと/目がさめたなら出て来なよ/めくら千人のその中の/一人の目明(めあ)きが気を付ける/アア惟神(かんながら)々々/かなわんからたまらない/一足(ひとあし)お先へさようなら

これを読むと、今の変性女子(王仁三郎のこと。また救世主を現す)はニセモノで、美濃か尾張からホンモノが出現するというような意味のことが書いてあるので、王仁三郎が「自分はニセモノ(偽の救世主)だ」と自白している歌である…と思い込んだ人たちがいました。王仁三郎に反対する勢力です。

しかし王仁三郎は昭和10年に自分の手で霊界物語を校正した際に、「一人の目明きが気を付ける」以降を次のように書き換えました。

一人の目明(めあ)きが気を付ける/なぞと慢神(まんしん)してござる/王仁(おに)はこの言(こと)聴くにつけ/お気の毒にてたまらない/こんな判らぬ奴ばかり/めくらばかりがささやけり

つまりこの歌は、今の変性女子はニセモノだとウソを言う人がいるが気の毒である…ということを歌っているのです。

しかしこの校正された霊界物語が初めて刊行されたのは、昭和34年です(天声社の「普及版」)。
その間に、「自分はニセモノだと王仁三郎が自白している」という話が一人歩きしてしまい、今日に至るまで、そういう誤った情報を信じている人が少なくありません。
美濃(岐阜県)や尾張(愛知県)の出身だとか、そこに住んでいるということで「自分が(または他の人を指して)真の救世主である」という箔付けに利用しているケースがよくあります。

これは最初に王仁三郎が霊界物語を書いたときに、歌を書き間違った、ということではなく、王仁三郎に反対する人たちをあぶり出すために、意図的にそのように書いたようです。
そしてそういう人たちは自発的に大本から出て行ってくれました。王仁三郎はわざと「自分はニセモノだ」と読める歌を書くことで、それらの人たちを穏便に追い払ったわけです。
王仁三郎が仕掛けたトラップにまんまと引っかかったわけですね。

↓【戦前出版された初版本】

↓【昭和34年に出版された普及版】(校正後の文章)

↓【昭和10年に直筆で校正した本】

ところで余談ですが、アホウドリというのは漢字で「信天翁」と書きます。当て字ですが、どうしてこういう文字になったのでしょうか?
調べてみると、古代中国に溯ります。アホウドリは人が近づいても警戒せず、素手で捕まえることが出来るようなアホな鳥です。エサを取るのもヘタで、アホウドリは「エサは天から降ってくると信じている」と言われていました。つまり天からエサが降ってくると信じている呆けた老人(翁)のような鳥、ということで「信天翁」と書かれたようです。
ちなみに鳴き声は「アホー、アホー」ではありません。「ガアー、ガアー」てかんじです。聞いてみて下さい。
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/mp3/73_s_01.mp3
(サントリー「日本の鳥百科」より)

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2015年5月7日号掲載の文章に加筆訂正したものです)