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神との出会い(1)知床半島徒歩旅行の巻

Published / by 飯塚弘明
投稿:2015年03月10日

神とはどういう存在か・・・神の観念というものは、信仰が深まると共に変化して行きます。最初のうちは「雲の上に乗って杖をついている白い髭のおじいさん」だったり、「善いことをしたら御褒美をくれるサンタクロースみたいな人」だったりするかも知れません。
宗教を学んでわかったことは、宗旨の如何を問わず、信仰が深まると「神を信じる」から「神を知っている」というように変化して行く人が多いことです。宗教体験を重ねるにつれて「神はわれと共にあり」ということを実感して行くのです。

宗教とは主観の世界であり、主観を大切にすることで人生を豊かにして行くことです。

稚拙ではありますが、私の宗教体験を記して行こうと思います。半生を記したメモのようなものです。
何かのお役に立てば幸いです。


私が初めて神というものを意識したのは小学生高学年の頃です。

夜ときどきオネショをしていた私は夜中にこっそり起きて、家族に気づかれないようにパンツを取り替えて洗濯カゴの奥深く突っ込んでいました。(^_^;)
大きくなってもいつまでもオネショをしていたのでは恥ずかしいと思い、どうにかしてオネショをやめたいと深く悩みました。そして夜寝るときに布団をかぶって『神サマ仏サマ、オネショをしないようにして下さい!』と強く念じるようにしたのです。

私のうちは特に何かの宗教を信仰していたわけではなく、よくある「無宗教」の家庭です。しかし世間には「神」だの「仏」だのいう、何やら目に見えない、人間を超越した存在があるらしい、ということはマンガやテレビを見て知っていました。
それで「困った時の神頼み」とばかりに、神サマにお願いしてみたのです。

すると不思議なことにいつしかオネショをしないようになりました。\(^O^)/
このことがきっかけで私は神を信じるようになりました・・・というわけでは、ま~~~~~たく、ありません。
その後も時々苦難に直面すると『神サマお願いします!』と念じることはありましたが、あくまでも「困った時の神頼み」です。神を信じていたわけではありません。単なる「おまじない」です。

目に見えないものの存在を実感したのは、それから10年ほど経ってからです。
19歳の夏、私は仕事を辞めて、オートバイで北海道に一人旅に出ました。腕時計を外し、テントとシュラフを積んで、予定を立てずに行きたいところへ行く、勝手気ままな野宿の旅です。
一ヶ月ほどかけて、北海道を一周しました。

そのとき体験したことは、
  (1) 知床半島を徒歩旅行し、
  (2) 恐山で野宿をし、
  (3) キリストの墓を発見しました。
これらの体験が「あなたの知らない世界」へ入るきっかけになったのです。

(1) 知床半島徒歩旅行の巻

知床半島は環境保護のため道路が半島の途中までしかありません。先端の岬へ行きたい観光客は、フェリーで行きます。
当時、オートバイの雑誌に、「オートバイを置いて歩いて知床岬に行く」というレポートが時々掲載されていました。道なき道を行く、ちょっとした冒険です。
私はそれを見て『機会があったらぜひ行ってみたい』と思っていました。
しかし一人で行くのは心細いので、道中で知り合った人と二人で行くことにしました。
その人は大手証券会社を辞めて東京から来たという、20代後半くらいの男性です。当時はまだバブルの全盛期ですので、証券マンとか銀行マンというのは「いいシゴト」と世間に思われていた時代です。私のようなフリーターならともかく、「いいシゴト」を辞めてしまうなんてさっぱり理解できませんでしたが、きっと私と同じように、腕時計を外したかったのでしょう。携帯電話の普及につれて腕時計をしない人が増えて来ましたが、そういう意味ではなく、管理社会の象徴である腕時計を捨てたかったのです。

当時は夏になると北海道を走り回るライダーたちを「ミツバチ族」と呼んでいました(今はどうなんでしょう??)。
ミツバチ族用の簡易宿泊所が道内にいくつもあり、500円とか1000円とかで泊まれます。知床半島の途中にある宿泊所にオートバイを置いて、二人で歩き出しました。
海岸線に沿って歩いて行きます。道がない、とは言ってもある程度は人が歩いているので道が踏み固められています。しかし人の背丈以上もある草木が生い茂った山道を上ったり、今にも切れそうなロープを伝って転げるように坂道を下ったり、なかなか大変でした。
海沿いの岩場のコースの途中には、満潮になると岩が海面下に沈んで通れなくなってしまうところがあり、時間ギリギリで通過したこともありました。
道を間違えて山の奥に入ってしまい、獣道に入ってしまったみたいで何やら獣の(クマ?)の臭いがして、慌てて下の方に駆け下りたこともありました。

岬に着いて頭上を見上げると、右側は晴れていて、左側に雲が広がっていました。
ここがちょうど太平洋(右)と日本海(左)の境目なんだなと、いたく感動しました。

実は岬に着く前に雨が降り出して、漁師さんの番屋(仕事で泊まる小屋)で二泊、泊まらせてもらいました。
二泊三日くらいの日程で往復できるようなのですが、私たちが岬に辿り着いたのは三日目でした。
結局、帰りは力尽きてしまい、仕事をしていた漁師さんに頼み込んで、お金を払って漁船に乗せてもらい、出発地点まで戻って来ました。(^_^;)

この知床半島徒歩旅行で私は、大自然に人間を超えた何かがあることを、生まれて初めて実感できたのです。
都会の雑踏を離れ、時間に追われる日常を離れて、その何かを感じることができたのでした。
800年前、西行法師が伊勢神宮に参拝したときに詠んだ次の歌があります。
「何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなくて涙こぼるる」
ちょうどそんなかんじです。大自然の中に、何者かは知らないけれど、かたじけない・・・という気持ちが生じました。
涙がこぼれるほどではありませんでしたが。

この体験が、「困った時の神頼み」ではなく、神に対する感謝──生かされていることの感謝、守られていることの感謝の気持ちが芽生えた始まりです。
そして北海道から本州へ戻ると、私は大胆にも、イタコで有名な青森の霊山・恐山で野宿をするという愚挙に出たのです。

(続く)

注意・知床岬に行くのは危険ですし、現在は立ち入りが規制されているようですので、安易に真似をしないようにして下さい。