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世界を統一する「奥の大勢力」とは?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月24日

霊界物語は81巻(83冊)もあるので、第○巻に何が書いてあったと覚えるのがなかなかたいへんですが、覚えやすい巻もいくつかあって、12巻で一括りになっているのでその最初や最後の巻は比較的覚えやすいです。たとえば第12巻は天の岩戸開きで、第13巻は半ダース宣伝使、第24~25巻は竜宮島、など。

第64巻も比較的覚えやすいのではないでしょうか。6+4=10です。ニンテンドー64の64です。

第64巻はこの前書いたように上下の2冊に分かれており、エルサレムが舞台です。
これは第1~4巻で舞台となる「聖地エルサレム」とはまた別です。
そちらのエルサレムは「地の高天原」とも呼ばれ、神代の世界の首都です。現代の地理にあてはめると、トルコのエルズルムの辺りを指します。〔第37巻第1章参照。「アーメニヤの南方に当るヱルセルム」〕

第64巻の舞台となるエルサレムは、現代のイスラエル(パレスチナ)のエルサレムです。
これが書かれた大正時代はイギリスの植民地でしたが、ユダヤ人国家が誕生しているという設定になっています。イスラエルは第二次大戦後の1948年に建国されますが、王仁三郎はイスラエルの建国を予言していたと言えます。(ちなみに王仁三郎が昇天したのはその年の1月19日で、イスラエル建国は約4ヶ月後の5月14日)

この巻の主人公ブラバーサは、日の出島(日本)からエルサレムに宣教にやって来た男性で、「ルートバハー」という宗教の宣伝使をしています。ルート root という名称は大本を暗示しており、他の巻での三五教に該当します。

ウラナイ教の高姫に該当する女性もおり、ユラリ教のお寅と言います。

ブラバーサの活動を妨害するお寅一派のドタバタ劇(64巻下)や、ブラバーサに恋慕して言い寄る女性マリヤとのラブストーリー(実はマリヤは神様からブラバーサを保護する役割を与えられていた)などが繰り広げられながら、「救世主の降臨」とか「世界の統一・和平」ということをテーマに物語が展開して行きます。

よく引用されるのが、第5章「至聖団」の次の一節です。マリヤの演説の中に出て来ます。
マリヤは「アメリカンコロニー」というクリスチャンの共同体に住んでいるんですが、そこを訪れたブラバーサや、コロニーの執事スバッフォードが演説し、その後に続いてマリヤが演説します。
マリヤはキリストの再臨(五六七神政の成就)に向けてやるべきこととして、次のように演説します。

…まず第一に神の子、神の生宮(いきみや)たる吾々は、世界にあらゆる有形・無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備≪警察的武備は別≫と国家的領土の閉鎖とであります。また無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心(てきがいしん)だと思います。また宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思います。この世界的の有形の大障壁を除くためには、まず無形の障壁から取り除いてかからねばならないと思います。…この障壁をなす唯一の根元は自己心と自我心です…
〔第64巻上第5章「至聖団」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm64a05&mka=a174-a180a189#a174

ここで、有形の障壁として軍備と国境を指摘し、それを無くすにはまず心の中の障壁から取り除く必要があると語っています。
これはあくまでもマリヤという登場人物のセリフに過ぎないのですが、特に重要視され、たびたび引用されるのは、これはまさに王仁三郎の活動そのものだったからです。

軍備の廃止というと──テロリストやならず者国家がたくさんあるのに軍備を廃止したらとんでもないことになる…と思う人もいるでしょうけど、軍備の廃止はワンワールドが前提です。
「警察的武備は別」と書いてましたが、世界政府の機関である世界警察は当然武装しているわけです。各国家の主権から交戦権を廃止して各国の軍備を廃止し、それに従わないテロリストやならず者国家は、世界警察が対応するのです。
ですから王仁三郎は武力を否定しているのではありません。その運用の方法を問題にしているのです。

警察と軍隊の違いは何でしょうか? 端的に言うと、違法行為に対して自動的に武力を発動して取り締まるのが警察です。それに対して、司令官の思惑によって恣意的に武力を発動させるのが軍隊です。
現在は、アメリカやイギリスなどが、自国の軍隊を動かして世界の紛争に対応していますが、その運用は全くフェアではありません。シリアのISILは攻撃するのに、なぜ北朝鮮は攻撃しないのでしょうか?
それは言うまでもなく、軍隊というのはその国の為政者(最高司令官)の都合によって動くからです。北朝鮮の独裁政府は存在していた方が、米英にとって都合がいいのです。アジアに軍を駐留しておくいい口実であり、それは結果的に中国に対して睨みを利かすことが出来ます。
もし世界警察が存在しているのなら、北朝鮮にガサ入れしているはずです。容疑はいろいろありますが、核開発は別としても、日本人や韓国人を多数拉致監禁している容疑だけで十分、家宅捜索令状を取ることが出来るでしょう。もし世界裁判所の令状に北朝鮮政府が従わなければ、公務執行妨害で武力を発動することになります。

このような武力は、為政者が恣意的に発動させるのではなく、法によって自動的に発動するようにしなくてはいけません。それが警察です。
その法と警察が今は存在しない、つまり世界政府が存在しないため、各国が武装するのは時代の過渡期としては止むを得ませんが、進むべき道は世界の統一です。世界政府を樹立し、各国の武装を廃止することです。

それで、王仁三郎の昇天後ですが、大本は世界連邦運動に積極的に取り組んだのです。
ところが米ソ冷戦に突入し、その運動はパッとしない状態になってしまいましたが、今、世界統一運動を再興させる時期が来ているように思います。

しかしマリヤの演説にあったように、世界の統一は、まず人々の心の中の敵愾心を取り除かねばなりません。
それで王仁三郎は「人類愛善」を旗印に世界的に活動を展開して行ったのです。それは「道義的統一」とか「精神的統一」と呼んでいます。TPPのように、形だけ先に統一させようとしても、反対派の妨害によって頓挫しかねません。

   ○   ○   ○

この第64巻で、もう一箇所、たびたび引用される箇所を紹介します。
それは第15章「大相撲」です。

ブラバーサは宿泊しているカトリックの僧院ホテル(これは現在「ノートルダムセンター」という名称の実在するホテルです)で、バハイ教の宣伝使バハーウラーと面会します。
その会話の中には、日本とアメリカとの対比や、日本の七不思議とユダヤの七不思議との対比などが出て来ます。
それもおもしろいのですが、ここで日米戦争の予言や、その後の世界が統一されるという予言もあって、この章が注目されるのです。

ブラバーサは「東西の大関が世界の大土俵上に、褌(まわし)をしめてにらみ合っている以上は、ハルマゲドンつまり世界最後戦争は免れない」(意訳)と語ります。
東西の大関とは、日本とアメリカのことです。つまり日米戦争が予言されているのです。

それを聞いたバハーウラーは「その二大勢力はどちらが天下を統一すると考えますか」と尋ねます。

するとブラバーサは
常世国(アメリカ)ではないと思います」
と答え、そして
「その二大勢力よりも、も一つ奥に大勢力が潜み、最後の世界を統一するものと神示によって確信しております」
と答えます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm64a15&mka=a129-a135a150-a153a165-a166#a128

この「奥の大勢力」とは何かというのが謎なのです。

単に「奥の大勢力」とだけ聞くと、フリーメーソンやらイルミナティやらの秘密結社のような勢力を思い浮かべる人もいるでしょうね。

しかしここでブラバーサは、ユダヤの七不思議と日本の七不思議が対照的なことを説明して
「これを考えてみれば、どうしても、この日の出島(日本)とパレスチナ(ユダヤ)とは、何か一つの脈絡が神界から結ばれてあるように思います」
と語るのです。

おそらく何らかの日ユ連合が、この「奥の大勢力」ではないのかと私は考えています。

日本とユダヤとの繋がりと言えば、日ユ同祖論が有名です。古代イスラエルの失われた十部族の一部が日本に渡来して、日本人の祖先の一部になっているという話です。
それは王仁三郎も肯定しており、歴史的事実なんですが、しかししょせんは古代の話です。

現代の新しい日ユの関係が、これから重要になって来ます。
ほとんど誰も注目していないと思いますが、米英が衰退して行くこれからの時代は、日本とイスラエルとの関係が重要になります。

ミロクの世をクリエイトする究極の立て直しの予言

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月13日

以前にブログに書いたように、私は20代の始めの頃、予言の研究に没頭していた時期があります。→「火の雨はまだ降っていない? 予言解読の限界
時は90年代、世紀末です。ノストラダムスの大予言なんかが流行っていた時代です。
終末観が漂っていたという時代背景もあって、予言にハマっていたんですが、21世紀になった今日でも、予言というものは相変わらず人気の高い分野ですね。

予言の中でも、本当に知りたいことは、過去に起きたことではなく、「未来はどうなるのか」ということだと思います。
王仁三郎の予言には、過去にすでに起きたものが少なくありません。
第一次大本事件を予言していたとか、原爆投下を予言していたとか、8月15日に戦争が終わることを予言していたとか、現代から見たら、みな過去のことです。すでに完了した予言なんて「ふむふむ」って一瞥して終わりじゃないですか?

それに対して、昨日紹介した「出口王仁三郎の現代の予言」に書いてあるようなことは、今起きていること、あるいは未来に起きることであって、そういう未来予言の方が関心が高いと思います。

予言にはこのように、すでに成就した過去の予言と、今起きている或いは将来起きる未来の予言との二種類に分けられます。
また別の分類の仕方もあります。立て替え(破壊)の予言と、立て直し(建設)の予言です。

立て替えの予言というのは、終末予言のようなやつです。大戦争が起きるとか、地異天変が起きるとか。
「出口王仁三郎の現代の予言」に書いてあるようなことも、立て替えの予言です。
危機感を煽る予言です。
この手の予言を神が下すのは人類に警告を与えるためです。「このままだと、こういうことになってしまう。だから早く心を改めてくれ」と訴えているのです。
大本神諭の「人民が三分になる」とか「東京はすすき野になる」とか「火の雨」が降るとか、そういう破局を告げる種類の予言が立て替えの予言です。

それに対して立て直しの予言というのは、「ミロクの世はこうなる」というやつです。「ミロクの世には世界が十二ヶ国になる」とか「人は最低120歳まで生きられるようになる」とか「ミロクの世は宗教が不要になる」とか、そういうやつです。
この前紹介した「空中郵便」とか「空中交通機」なんかもそうです。

立て替えの予言の方が、センセーショナルで、目を引きやすいのですが、本当に重要なのは立て直しの予言の方です。
立て替えは黙っていても起きます。人間が何かをしなくても、勝手に自然崩壊するのです。腐った社会は自ずと滅びるのですよ。
それに対して立て直しは人間の努力が必要です。
黙って見ていても、勝手に立て直されるわけではありません。建物の立替え立直しを考えればよく分かると思います。解体業者が建物を破壊しなくても、歳月が経って老朽化すれば建物は自ずと壊れて行きますね。それに対して建物を建築するのは、人間が意志を持って動かなくては造ることは出来ません。
もちろん自分は黙って見ていてもどこかの誰かが勝手にやってくれるとは思いますが、「天地経綸の主体」として地上に生まれて来たのが人間です。神の手足となって動くのが人間ですから、歴史の傍観者でいることは許されません。

たとえば、空中で指を動かして文字を書くことができる指輪型デバイス「Ring」を開発した富士通の開発者が、実はオニサブラーで、霊界物語の「空中郵便」のところを読んで、『おおっ!これだ!これを造ろう!それが自分に与えられた使命だ!』と感じて、それを開発したのかも知れないのです! そうやって、人間にミロクの世を建設する指針を与えているのが、立て直しの予言です。

もちろん人それぞれ役割があり、得意分野が異なりますので、自分の得意分野以外では傍観者になってしまうことはやむを得ないことです。
人それぞれ自分の得意なことでミロクの世をクリエイトして行けばいいと思います。
以前に書きましたように、未来は大ざっぱなことしか分かりません。細かいことは分かりません。言い方を変えると、その細かいことは、創意工夫の余地があるわけです。そこをクリエイトして行く任務を委ねられているのが人間です。抽象的なビジョンを描くのは神様で、それを具体化するのが人間です。

さて、王仁三郎が説く立て直しの予言ですが、木庭次守編『新月の光(かけ)』に多数収録されています。王仁DBで「みろくの世|ミロクの世|五六七の世|弥勒の世」というキーワードで検索するとだいたい出て来ます。「|」は「または」を意味する記号で、OR検索と言います。
検索キーワードが長いので結果が出るまで少々時間がかかりますが、『新月の光』に関しては20件くらい検索されて出て来ます。しかし本文は表示されません。王仁三郎の語録なので著作権は切れていますが、編者の編集著作権が生きているので表示できません。八幡書店から上下2巻組で発売されてますので、それを買って読んで下さい。

ミロクの世は米本位制になるとか、お金は一人十万円しか持てないとか、いろいろ驚くようなことが書いてあって、そういう意味でおもしろいのですが、結論だけが書いてあって、その理論までは分かりません。
たとえば学校で算数を勉強するときに九九を暗記しますが、暗記だけして、どういう思考をすれば3+7が10になるのか、それを知らなくては、応用が効かなくなると思います。
王仁三郎が「ミロクの世はこうなる」と言っている、その結論だけでは、言っていないことについては、何もクリエイトすることが出来なくなってしまう可能性があります。
空中郵便にしても、なぜそれが必要なのか、ということが分からないと、指輪型デバイスを作って、それでオワリになってしまいます。
マニュアルに書いてあることしか出来ないマニュアル人間になってしまう、ということです。

しかし大丈夫。安心して下さい。
王仁三郎はちゃんと理論も述べています。
理論というか、理念というか、精神というか、ミロクの世にそういう現象が出て来るその理由です。

それは、天国が地上に移写されて、地上天国(ミロクの世)が建設される、ということです。
その天国の姿が、霊界物語の第47~48巻に、詳細に記されているのです。
王仁三郎用語では「天界」と呼び、その天界が「天国」と「霊国(れいごく)」の2つのエリアに分かれています。
それがどういう世界なのかが詳しく書かれているので、それをもとに想像すれば、ミロクの世が見えてくるのです。
たとえば『新月の光』に、ミロクの世は人々は高原地帯に住むようになるということが書いてあるのですが、それは天界では天人たちは高い所に住んでいるからです。それが地上に移写されるのです。
またミロクの世は181階級になるとも書いてありますが、それは天界が181階級に分かれているからです。
このように、天界を探究すれば、ミロクの世が見えてくるのです。
ミロクの世をクリエイトする究極の立て直しの予言、それがこの霊界物語第47~48巻だと言えます。

そのことに気が付いたのはだいぶ前です。2009年に霊界物語の講座をやり始めた頃から『天界が地上に移写されるとどうなるのか』ということを考え出しましたが、私のアタマではなかなか想像が付きません。逆立ちして考えたり、寝ながら考えたり、時には腹筋したり、腕立て伏せをしたりして探究を続けた結果、何とか人に話せるくらいの量になって来ました。

しかしそれを話す前に、まず王仁三郎が天界の姿をどのように語っているのかを説明しなくてはいけません。
ちょうど今、メルマガに天界の解説を連載しています。
一番いいのは私の解説を読むのではなく、霊界物語ネットで第47~48巻を直接読んでもらうことです。
周知のように、難解ですけどね。チャレンジしてみて下さい。
チャレンジできない方は、メルマガを読んで下さい。
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出口王仁三郎の予言のまとめならこれ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月12日

出口王仁三郎の予言は、過去に出口三平氏がまとめて「王仁三郎預言資料年譜」という題で発表しており、『世界更生 第二号』(1994年、あいぜん出版→みいづ舎)という本のp43~p72に収録されています。

これは出口恒氏がネット上に転載しています。
世界最大の予言者 出口王仁三郎の予言

主なものはだいたいこの「王仁三郎預言資料年譜」に記載されていると思いますが、細かく見て行くと、漏れているものも少々あるようです。

たとえば第一次大本事件が起きる月日の予言。
大正8年に王仁三郎は「正月五日天」という文字を書に書いていますが、第一次大本事件が起きた大正10年2月12日は旧暦だと1月5日なのです。

↓「正月五日天」と書いた王仁三郎の書。『大本七十年史 上』p566より。一番上の「心」みたいな文字は「正」の草書体です。

書「正月五日天」

当時の大本は、予言カルト勢力が主導権を握っており、「大正10年の紀元節(2月11日)に世の立替(終末)が起きる!」と騒いでいた時期です。当局はその”予言”を外すためにわざとその翌日にずらして大本を検挙したのですが、王仁三郎は2月12日(旧正月5日)に起きるということを事前に予言していたのです。

他には、このページ→「出口王仁三郎の現代の予言」に書いてあるような「奇形児とか脳性異常児がふえて、まともに人間の姿、人間の感情をもったものが、ほとんど生まれなくなる」とか「空気がとまる(酸素がなくなる)ときがくる」というセンセーショナルな予言もありますが、こういうものは公的な場で発言したものではなく、信者が個人的に聞いたものです。そういうものまで含めると王仁三郎の予言は厖大な数に上ることでしょう。
しかし主なものは「王仁三郎預言資料年譜」にだいたい入っていると思いますので、王仁三郎の予言を研究したい方は、まずそれを読むといいです。

火の雨はまだ降っていない? 予言解読の限界

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月11日

予言というものはすべて、それが過ぎた後でなくては、それが指し示すものが何なのかを知る事は出来ません。
そういう意味で、予言の解釈は「後付け」だと言えます。
人間に、未来に起こることは、わからないのです。

ある予言が仮に「正しい」としましょう。
しかしそれを受け取る人間には、何が「正しい」のかはわからないのです。

王仁三郎は予言者としても有名ですが、予言が「当たった」というのは後付けです。
「火の雨」が降るとか言っても、明治~大正時代にそれが何を意味しているのかは分からなかったことでしょう。
昭和になって米軍の空襲で焼夷弾が降ってみて、そこで初めて「火の雨とはこのことだったのか」とわかったのです。
空から燃えながら落ちてくる焼夷弾は、まさに「火の雨」そのものです。

しかし。

王仁三郎は戦争が終わった後で、「本当の火の雨はこれから降る」と語っています。
どうやら焼夷弾は予言の成就ではなかったようなのです。
では「火の雨」とはいったい何なのでしょうか?? 火山の噴火? それとも流星群?

そんなことは分かりません。それが起きてからでないと分かりません。
予言の成就っぽい出来事が起きてから、「これはあの予言が成就したのだ」と騒ぐわけです。
そういう意味で、予言の解釈というものはみな後付けなのです。

これは人間の限界があるからです。しょせん人間には、その人が持っている知識の範囲内でしか物事を理解できません。(当たり前ですが)

先日、「空中郵便」の予言を紹介しましたが(空中郵便 ~百年前にスマホメールを予言)、しょせん私のアタマでは「文字が言語(声)を発する」デバイスなんて想像も付かないのです。SF的な知識を持っている人なら、何かおもしろい解釈をすると思うのですが、私には何も浮かんで来ません。(^_^;

予言解読の限界が分かるとてもいい例があります。
「空中郵便」の予言を、八幡書店社主の武田崇元氏が、学研ムー誌等に過去3回(当方の調査です)記事にしているのですが、時代と共に解釈が変化しています。

まず24年前のムー誌平成5年(1993年)2月号から。(p63-64)

 王仁三郎は『霊界物語』に奇妙な話を書いている。「昔のように今日の時代は、毛筆や鉛筆や万年筆の必要はありませぬ。ただ指先をもって空中に七十五声の文字記せば、配達夫たちはただちに配達してくれますよ。……文字が音声を発する時代となってきました」
 そんなことをいわれても、当時、だれひとり理解できる者はいなかった。が、この予言は、ワープロ、ファクシミリが出現した、まさに現代に生きているわれわれになら即座にわかるだろう。

当時はワープロ専用機やファクシミリの全盛期です。さすがに携帯電話もインターネットもスマートフォンも出て来ません。携帯電話が普及しだしたのは90年代の後半からです。

次はそれから12年後のムー誌平成17年(2005年)12月号です。(p34)

(略)文字が音声を発する時代となってきました」
 12年前に王仁三郎の特集を執筆した段階では、これが何を予言しているのかわからず、せいぜい「ワープロ、ファックスの出現」と指摘したのみだった。
 しかし2005年の現在、われわれは改めて王仁三郎の予言に驚かざるをえない。これはまさに、電子メールの予言でなくてなんであろう。
 未来世界を垣間見た王仁三郎は、電車の中で携帯電話でメールを打っている人々の姿を表現したのだろう。これこそ21世紀の初期から急速に普及しはじめた技術で、わずか十数年前のわれわれでさえ、想像もできないものだったのだ。

携帯メールは十数年前には想像もできなかったと言っています。私も90年代の初期からパソコン通信をやっていたので電子メールは使用していましたが、それが電話機で使えるようになり、しかも音声通話に代わるほど普及するとは思ってもいませんでした。

そして次はそれから8年後の平成25年(2013年)9月に発刊された『新約 出口王仁三郎の霊界からの警告』(学研パブリッシング)です。(p208-209)

(略)文字が音声を発する時代となってきました」
 筆者がこの予言を初めて紹介したのは、昭和五十八(一九八三)年のことである。当時はこれが何を正確に予言しているのかわからず、せいぜい「ワープロ、ファックスの出現」と解読したのみだった。
 しかし、二〇一三年の現在、私たちは改めて王仁三邦の予言に驚かざるをえない。これはまさに、電子メールや携帯電話の予言でなくて何であろう。未来世界をかいま見た王仁三郎は、あるいは電車の中で、あるいは散歩をしながら、あるいは喫茶店で、携帯電話やスマートフォンの小さな文字盤を、まさに「空中に文字を書く」ように異常な速度でタイピングし、メールや写真を送り、「○○w」とツィートする人々の姿を表現したのではないだろうか。

この頃になるとスマートフォン(2007年に登場)やツイッター(2006年に登場)の話題が出て来ます。
しかし私は、大きくて平べったい端末で電話したり、吐いて捨てるような短文を不特定多数の間で送受信するようなことがこんなに広まるとは思ってもいませんでした。未来を予測することは難しいです。

そして2017年を生きている私たちは、指輪型の、空中で文字を書くデバイスがあることを知っています。
王仁三郎の予言の正しさに驚かざるを得ません。
しかし文字が音楽のように聞こえる「文字が言語を発する」デバイスはまだ私たちは知りません。
それが出現してからでないと、その予言が成就したのかどうかは分からないのです。
ひょっとしたらラインの文字を初音ミクちゃんが歌って読み上げてくれるのかも知れませんが、そんなサービス普及しますかね?? ──いや、普及するのかも。

このように人間には、理解できることに限界があるのですから、その予言が何を意味しているのか、正確なことは分からないのです。

そうである以上、予言研究に没頭したり、当たり外れを云々したりすることはナンセンスではないでしょうか。

大正10年(1921年)の大本事件までは、大本は予言マニアや霊能マニアが集まる怪しいオカルト教団でした。
そんな予言マニアに注意を促す歌を、王仁三郎は次のように詠んでいます。(『真如の光』昭和9年2月10日号表紙の道歌〕

予言のみ好きな信者はともすれば 妖言(ようげん)過言(かげん)に脱線するなり

実は私も20代の始めの頃、予言の研究にかなり没頭していました。特に聖書の予言です。
そもそも日本語に翻訳された聖書を調べても本当のことは分からないと気がついて(翻訳者のフィルターが入りますから)、それでヘブライ語を勉強して原典から調べることにしました。

そして1~2年予言研究に没頭した結果分かったことは、『正しいことは、しょせん人間には分からない』ということです。
予言を発している存在(神)が人間に、未来の真実を伝えたところで、まずそれを受け取るメッセンジャー(預言者)の限界があります。しょせんはそのメッセンジャーの知識の範囲内でしか、神が伝えたいことを理解できないのです。真理はメッセンジャーのフィルターを通して歪曲されるのです。
そしてそれを他の人に伝える時に、それは人間の言葉(文字)を介して伝えられます。
自分の思っていることを100%正確に言葉にすることは出来ません。限界があります。
そして聞き手の限界があります。メッセンジャーが発した言葉を100%正確に受け取ることは出来ません。しょせんはその聞き手のフィルターを通して歪曲した形でしか理解することは出来ません。

神 → メッセンジャー → 人々

という伝言ゲームなのです。真実が伝わるのかとても疑問です。

これではいくら研究したってしょうがないです。時間の無駄です。
この「分からない」ということが分からないと、神の道は先に進むことは出来ません。同じところをグルグルと回り続けることになります。

王仁三郎は、前述の歌に続いて、次のようにも詠んでいます。

予言とは神の予定の示顕(じけん)なり 予言と確示(かくじ)はやく悟らへ

予言はあくまでも神の「予定」だと言うのです。たとえば大本神諭には「立替えが十二年遅くなりておる」と書かれてありますが
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os001&mka=a029#a029
予定なので、遅れたりもするわけです。
予定なので、変更になることもあるでしょう。

歌に出て来た「確示」というのは、どういうことを言っているのかよく分かりませんが、大ざっぱな流れ、抽象的なことであれば、確定なんだと思います。
しかし細かいことまでは分からない。
空中で指を動かすと文字になって相手に届けられ、それが音声を発する、そういうデバイスが21世紀の初期から使われることになる・・・という抽象的なことは確実でも、具体的にどういうデバイス、サービスなのかまだは分からないし、変更になるかも知れないし、時期も前後するかも知れない。

細かいことは気にしないことです。
大ざっぱに考えるようにして下さい。

予言を紹介していると、若い頃の私のように、その世界にハマって底なし沼に落ちてしまう人がいるので、注意を促すため書いておきました。

空中郵便 ~百年前にスマホメールを予言

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年06月10日

「空中郵便」は霊界物語に記されている有名な未来予言の一つです。

第15巻第19章から21章にかけて、宣伝使の言依別(ことよりわけ)一行4人が幽体離脱して、天界を探検するシーンが描かれています。

「空中郵便」の予言は、天人の松彦のセリフとして次のように書かれています。

…と話す折しも、美(うるわ)しき羽翼を列べて十四五の鳥、この十重の塔にかけ来り、五人が前に羽根を休めける。
 見れば鳥と見しは見誤りにて、羽根の生えたる小さき人間なりき。
 松彦は一同に向かい、

「彼は天地の間を往来し、神々の御言葉を伝うる使神(つかいがみ)であります。地上の世界は炎熱はなはだしく相なりたれば、今は罪軽き神人(しんじん)は残らず、日の御国に移住をすることになっています。そのために空中郵便が開始され、つまり、かの使いは三十世紀の昔における郵便配達夫の役を勤むるものでございますよ。日の御国に御用がございますれば、ここで手紙を御書きなさいませ。この十重の神殿は、言わば天と地との文書の往復をつかさどる一等郵便局のようなものです」

言依別「われわれは神代の文字は知っていますが、今日の時代は文字も大変異っていましょうね」

松彦「昔のように今日の時代は、毛筆や、鉛筆や、万年筆などの必要はありませぬ。ただ指先をもって空中に七十五声の文字を記せば、配達夫は直ちに配達してくれますよ。私が一つ手本を見せましょう。この交通機関は二十一世紀の初期から開始されたのですよ」

と右の指をもって空中に七十五声の片仮名を綴りて、一つの語を作り、

「サア、これで手紙が書けました。文字が言語を発する時代となって来ました」

と言って笑っている。四人は耳を傾けて珍しき文字の声を聞かんと努めける。
 文字の声は音楽の如く聞え来たりぬ。…
第15巻第21章「帰顕」〕

大正時代にこれを読んだ人は「空中郵便」がどういうものなのかイメージできなかったことでしょう。
しかし21世紀を生きている私たちなら、それが何を示しているのか分かります。
そうです。携帯電話のメールです。
厳密に言えば21世紀の初頭ではなく、二十世紀の終わり頃(90年代後半)からSMS(ショートメッセージサービス)が開始されていますが、携帯電話の場合、文字のボタンを「押す」ので、「空中に文字を記す」というのとは少々イメージが違うかも知れません。iPhoneの登場によってスマートフォンが普及し、画面を指をすべらすことで文字を記すようになりましたが、そちらの方が「空中に文字を記す」というイメージに近いかも知れませんね。iPhone発売は2007年ですから、まさに「二十一世紀の初期」です。王仁三郎は百年近く前の大正時代(この第15巻を書いたのは大正11年-1922年)にスマートフォンのメールを予言したことになります。

また最近では指輪のようなデバイスを指にはめて、空中で指を動かすことで文字を入力する装置も開発されています。まさに「指先で空中に文字を記す」予言そのものです。
[関連情報]
空中に文字を描いて操作する。たった10gの指輪型デバイス
指輪型のウェアラブルデバイス「Ring」で文字入力 – Youtube

スラスラと入力するにはまだ難しそうですが、もう少しテクノロジーが発達したら、街中や駅のホームで指を動かす人を見かけるようになるのかも知れません。

しかし先ほどの引用文をよく読むと「文字が言語を発する」と書いてますよね。
ということは、単なるメールではなく、もう少し違うサービスが出て来るのかも知れません。
音声合成ソフトでメールを読み上げてくれるサービスかな? あるいはもっと違うサービスか?

2030年くらいまでは「二十一世紀の初期」と言えるのではないでしょうか?
これからどんなものが出て来るのか楽しみです。

なお、この19~21章には他に、現在23.4度傾いている地軸が50世紀までには真っ直ぐに戻るという予言や、人が鳥のように飛べる「空中交通機」(飛行機ではなく、人の背中に飛行装置を背負うもの)の予言、そして予言ではありませんがUFOの細かい描写なども記されています。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2016年4月28日号掲載の文章に加筆訂正したものです)